モスクワの伯爵 エイモア・トールズ著 早川書房

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モスクワの伯爵

『モスクワの伯爵』

著者
エイモア・トールズ [著]/宇佐川 晶子 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784152098603
発売日
2019/05/23
価格
3,888円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

モスクワの伯爵 エイモア・トールズ著 早川書房

[レビュアー] 鈴木幸一(インターネットイニシアティブ会長CEO)

 1922年6月21日、アレクサンドル・イリイチ・ロストフ伯爵は、人民委員会議の緊急委員会に出席した。裁判官はこう告げた。「当委員会はきみがいたく好んでいるホテルへ返すこととする。しかし、勘違いをしてはならない。ふたたびメトロポールの外へ出れば銃殺刑が待っている」

 伯爵は幾代も続いた貴族で、14人の使用人、20室ある邸宅で育った。18年にパリから戻ってからは、モスクワで最高級のホテル、メトロポールのスイートルームで、贅(ぜい)を凝らした家具に囲まれて暮らしてきたが、革命は貴族たちのよりどころを奪っていた。伯爵はホテルの狭小な屋根裏部屋で、32年にわたる軟禁生活を送ることになる。だが、物語は決して陰気にも暗くもならない。伯爵は、洗練された趣味、優雅な礼節、高い教養と、「めげない、あきらめない、ふさぎこまない」神経の持ち主だ。ホテルの空気を作る人となり、最後は給仕長になる。日々の生活空間は限られているのに、寝起きにコーヒーを飲む、レストランで食事をする、バーで飲む、狭いはずの空間が生き生きと広がる。「職業は?」「紳士は職業を持ちません」「どのように時間を過ごしている?」「食事、議論。読書や考察。当たり前のよしなしごとですよ」。軟禁を言い渡された折、検察官に答えた伯爵の言葉が誰をも魅了する人柄を表している。

 1954年、娘のように育てた女性が、ピアニストとしてパリでデビューする。来てくれるなら、という言葉に応え、有能なスパイのような行動でホテルを脱出する。

 背景には、プーシキンをきっかけにロシア文化が爆発した19世紀末、革命が帝政ロシアを根底から破壊した20世紀初頭という時代がある。米国でベストセラーとなった本書は、そんな時代に生き、誰もが魅せられてしまうロシアの伯爵を描き切っている。著者は大変なストーリー・テラーである。宇佐川晶子訳。

 ◇Amor Towles=1964年、米国ボストン生まれ。投資家として働いた後、2011年に作家デビュー。

読売新聞
2019年6月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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