『ホロヴィッツ・ピアノの秘密』
書籍情報:openBD
ホロヴィッツ・ピアノの秘密 高木裕(ゆう)著
[レビュアー] 山口雅敏
◆巨匠が愛した音 調律師が分析
今年没後三十年となる世紀の大ピアニスト、ウラディーミル・ホロヴィッツ(一九〇三~八九年)は、最もピアノにこだわったピアニストである。世界中どこのコンサートでも、お気に入りのピアノを運び、専属の調律師と一緒でなければ演奏しなかった。ホロヴィッツの最大の魅力といえば、一瞬にして聴衆を虜(とりこ)にする独特の音色と響きであり、八三年の初来日公演で“ホロヴィッツ・サウンド”を轟(とどろ)かせたピアノが、本書の主役となる一九一二年ニューヨーク製のスタインウェイ<CD75>である。今年で百七歳、現役のピアノだ。
ホロヴィッツが愛してやまなかったこの銘器は、どのようなピアノなのか。なぜ新しいピアノには見向きもしなかったのか。あの音色はホロヴィッツの奏法によるものなのか。長年の謎が本書の中で解き明かされていく。調律師の著者はホロヴィッツ・ピアノの秘密を追い求め、ニューヨークのスタインウェイ本社で、ラフマニノフ、パデレフスキ、ホフマンといったクラシックピアノ界の巨匠たちを支えたニューヨーク・スタインウェイの技術を学び、後に<CD75>の所有者となる。
本書では、このピアノを科学的に分析し、近年のドイツ・ハンブルク製のスタインウェイと比較した音を可視化して、鍵盤アクション調整値からも秘密を解明している。分析データからホロヴィッツや巨匠ピアニストたちが、ピアノに何を求めていたかが見えてくる。私は幸運にも<CD75>を演奏する機会に恵まれ、心震わせながら弾いた体験は忘れられない。
本書にはホロヴィッツが恋に落ちたもう一台のスタインウェイや、ショパンが愛奏した時代のプレイエル、第二次世界大戦中の戦地で弾かれていた貴重なスタインウェイのアップライトピアノも紹介されており、興味が尽きない。
ピアノの進化は作曲家に大きな影響を与え、それぞれの時代背景をピアノが語ってくれる。ピアノ愛好家、ホロヴィッツマニアにはたまらない内容であり、調律師という仕事の奥深さにも出会える。
(音楽之友社・1944円)
ピアノ・プロデューサー、ピアノ技術者。著書『調律師、至高の音をつくる』など。
◆もう1冊
ジョン=ポール・ウィリアムズ著『ピアノ図鑑』(ヤマハミュージックメディア)。元井夏彦訳。