「昭和バブルの香り」と「古代ギリシャの教訓」が逆に新しい

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ポルシェ太郎

『ポルシェ太郎』

著者
羽田 圭介 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309027937
発売日
2019/04/12
価格
1,540円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

ポルシェ男が直面する古代ギリシャの教訓

[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)

「汝自身を知れ」とは、アポロン神殿の入口に掲げられた言葉で、ソクラテス哲学の原点になったが、本来は「身の程を知れ」というくらいの意味だったと言われる。

 それを「自己の探求」と誤解したことの影響は凄まじく、近代日本にまで尾を引き、文学最大のテーマになった。ポルシェ太郎もまたその末裔の一人と言える。

 ただし、その探求は自己の内に深く降りていくのではなく、物質的な成功というかたちでの自己実現へと向かう。「ステータス性の高いポルシェでも買い、色々な道を旅すれば、自分では気づけていなかった才覚に気づき、自信を抱くこともできるだろうか」と考える太郎の〈自己〉は内側にはない。千五百万円で買える中古のポルシェ911こそが太郎自身なのだ。

 高性能のもたらす「感動の走り」など、とってつけた理由でしかない。そもそも日本のどこでその性能を十分に生かした走りなどできようか。その点で、ポルシェという車自体が、日本では身の程を知ることができないのだ。

 秘めた才能も環境が整わなければ生かせない、というような教訓が語られるわけではない。むしろ、あるかもしれない自分の才能=本当の自分などというものに踊らされることの愚かさの先に太郎はいる。「法の外側にいる」とうそぶき法定速度を守らない太郎は、あくまで外部との関わりにしか自己を見出すことができない。その意味で、これは自己の内面にこだわってきた近代文学への一つのアンチテーゼだとも言える。

 しかしもちろん、金で買える自己が自己であるはずもない。太郎は果たして「身の程を知れ」というアポロンの真意を汲むことができるのか。車、金、女に向かう太郎からは昭和バブルの香りも漂うが、いやそれ以上に古代ギリシャの教訓にまで先祖返りしているという意味で、逆に新しい。

新潮社 週刊新潮
2019年7月11日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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