本当の翻訳の話をしよう…村上春樹、柴田元幸著 スイッチ・パブリッシング

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本当の翻訳の話をしよう

『本当の翻訳の話をしよう』

著者
村上春樹 [著]/柴田元幸 [著]
出版社
スイッチパブリッシング
ISBN
9784884184667
発売日
2019/05/09
価格
1,980円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

本当の翻訳の話をしよう…村上春樹、柴田元幸著 スイッチ・パブリッシング

[レビュアー] 宮下志朗(仏文学者・放送大特任教授)

 村上春樹はフィッツジェラルドを始め多くの翻訳を手がけており、チェック役がアメリカ文学者で名翻訳家の柴田元幸。「村上柴田翻訳堂」というシリーズもある強力コンビが、翻訳や短篇(たんぺん)小説について縦横無尽に語り合う。

 「帰れ、あの翻訳」の章は、復刊希望の翻訳をめぐるトーク。「(ハーディの)『帰郷』も絶版? それは犯罪ですよ」と村上の反応もストレートだ。柴田がマッカラーズとオコナーはアメリカ南部の女性作家としてよく比較されるというと、すかさず「ジム・モリソンとポール・マッカートニーを較(くら)べるようなものですよ、それは」。どっちがどっちなのか、深意があるのか、私にはわからないが、とにかく心地よい。

 「翻訳の不思議」では、既成の文体という「縛り」から逃れるすべに触れる。長篇『風の歌を聴け』の冒頭を試しに英語で書いてみた村上が、江戸的文章を避けようとロシア語で試みた二葉亭四迷に準(なぞら)えられる。その村上は「翻訳は交換可能」のため、「奉りすぎると、問題」として「名訳はけっこう迷惑」と確言する。名訳がある古典の新訳に挑んだ私も思わず拍手。

 短篇も書く村上にとって、短篇の危機はひとごとではない。雑誌で短篇小説を読む中産階級が減ったアメリカの現状は切実だという。質についても、似た題材を好むアメリカの「創作科風」にも、日本の定型的な「文芸誌的」にも辟易(へきえき)することもあり、「私にしかできない」システムを作らなければダメと手厳しい。インディーズの中から世界文学となった自負の表れか。

 チャンドラーの全長篇を新訳した村上。「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」という台詞(せりふ)で名高いハードボイルド小説『プレイバック』の訳を、柴田の試訳と比較する。私立探偵マーロウに、村上は「私」、柴田は「俺」で語らせる。一人称が変わるだけで味わいが変わる。米文学の熱心な読者でなくても、十分に楽しめる内容。

読売新聞
2019年6月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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