むらさきのスカートの女 今村夏子著
[レビュアー] 藤田香織(書評家・評論家)
◆切実で可笑しい 不穏な世界
今村夏子の小説は読者に緊張を強いる。二〇一一年、太宰治賞受賞作を含むデビュー作『こちらあみ子』が刊行されて以来、新作が出るたびに多くの読者が身構えてきた。
連れていかれる。放り出される。読了した次の瞬間には現実に戻れる物語とは異なり、本を閉じても胸のなかに残り続ける。いや、その小説のなかに置いていかれた心地になる。実に疎ましく厄介だ。にもかかわらず、構えながらも、また触れたいと乞うてしまうのは、そこが唯一無二の世界だからだ。現在三度目の芥川賞候補に挙げられている本書もまた、そんな世界を存分に体感できる。
「むらさきのスカートの女」は、視点人物となる「わたし」の近所で有名な変わり者として描かれていく。地域では彼女を一日に二回見ると良いことがあり、三回見ると不幸になるというジンクスが広まっていて、子供たちの間では、ジャンケンで負けた者が彼女の肩にタッチする、といった遊びも流行(はや)っていた。週に一度、商店街でクリームパンを買い、決まった公園の専用シートで最後のひと口に時間をかけて食べる。どんなに人通りの多い場所でも周囲の反応を気にすることなく、人や物にぶつかることなくスイスイと歩く。
「わたし」は女のそうした姿を観察し、語り続けるのだが、暗雲がゆっくりと移動するように、不穏な空気が広がっていく。ふたりは同じホテルの清掃員として働き始めるが、変人だったはずの女は、仕事の能力も高く、周囲に認められるようになる。「むらさきのスカートの女」としてではなく、名のある一個人として。
それでもかたくなに女を名前では呼ばない「わたし」はいったい何を見ているのか。予想もつかぬ展開となる後半、読者もまた自分が見ているものが分からなくなる。
恐ろしく、切実なのに可笑(おか)しく、痛みを伴う平易な言葉で綴(つづ)られた百六十ページ弱の中編である。読むのは決して難しくない。こんな世界があったのかと、震えながら立ち尽くしてほしい。
(朝日新聞出版・1404円)
1980年生まれ。小説家。著書『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』など。
◆もう1冊
今村夏子著『あひる』(角川文庫)。芥川賞候補作を含む第2作品集。