SNS時代の「わがまま」のネガティブなイメージを払拭する1冊

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

SNSで取り残された人たちに言葉を与える「わがまま」

[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)

 たとえば学校のクラスの中でなにか不満があったとしても、多くの生徒は声を上げるのをためらってしまう。みんな我慢しているから。他の人に迷惑だから。つまり彼らは、声を上げることを「わがまま」だと思っているわけだ。

 今回紹介するのは富永京子『みんなの「わがまま」入門』。ユニークなタイトルから受けるイメージに反し、実は社会運動や政治参加といったことについて考える上で鋭い示唆を与えてくれるこの本、発売当初から口コミで話題となり、約2カ月で重版出来。参院選を前に注目度はさらに上がり続けている。

「本書の内容のベースとなっているのは、とある中高一貫校で行われた講演です。そのときの学生さんたちの反応がとても良かったことに加え、大人向けの類書には抜け落ちていた視点があることに気づき、執筆をお願いしました」(担当編集者)

 当時印象的だったのが、学生たちが口を揃えて「政治や社会に対して関心を持ちたいが、どう関心を持てばいいかわからない」と話していたことだという。この距離をすこしでも解消するべく、本書では語りかけるような文体を採用した点をはじめ、比喩や例示にも気を配った。たとえば、社会の全体像をパフェに喩えたり、ドラマや漫画作品を引き合いに出したり。とはいえ最大の突破口は、やはり「わがまま」というキーワードの用い方に集約されるだろう。

 SNSの興隆以降、学生たちにとって「空気を読む」ことは、もはや死活問題となっている。彼らは「政治」や「社会」に関心がないのではなく、むしろ忌避感を抱いているのだ。そこで本書は、「わがまま」を「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」として定義することで、ネガティブなイメージを払拭していく。

「SNSは一定の人びとの声を可視化しましたが、一方ではその大きさや激しさによって疎外されている人もたくさんいる。本書はそうした“取り残された人たち”に言葉を与える一助となり得るのではと期待しています」(同)

新潮社 週刊新潮
2019年7月18日風待月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク