英の「元・底辺中学校」に通う息子を日本人母の目で生き生きと描く秀作

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英の「元・底辺中学校」に通う息子を日本人母の目で生き生きと描く秀作

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 粋なタイトルにニヤリとしない人はいないはずだ。「ぼく」とは日本人の著者の息子で、父親はアイルランド人。英国の南端にあるブライトンに暮らす悩み多き中学生だ。コンサバな家庭の子弟が多いカトリック系の公立小学校から、白人労働者階級の子どもが多く通う、かつて荒れていたが、いまは巻き返している「元・底辺中学校」に進学するところから話がはじまる。

 環境の変化を彼がどうくぐりぬけていくか、母親の目で綴られるが、読んでいくうちにふたりが親子なのを忘れてしまう。

「息子の真剣な目つきを見ていると、ふと自分も彼と同じぐらいの年齢に戻ったような気分になった」

 そう、息子を通して著者自身が思春期を生き直しているのである。家が貧しく、中学までは周囲にもそういう子どもが多く、いじめや差別、貧困は、著者にとっても身近で切迫した問題だったのだ。

 事件が起きるたびに息子は頭を抱える。先生の言ったことと、「母ちゃん」のセリフをすり合わせて、答えを探そうとする十代らしい真摯さに心を打たれずにいられない。

 彼の友人にハンガリー移民の美少年がいる。演劇や音楽が好きで気が合うが、時代錯誤的な人種差別発言が多く、先生にマークされる。

 すると子どもたちは「正しくない人認定」が下りたと思い込み、一斉に彼をバッシングしだす。

 正しければ何をしてもいいという集団の力学について「ぼく」は言う。

「人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」

 他人の受け売りではなく、自分の頭で考えた彼の言葉は、「母ちゃん」のみならず、読者の私たちをもはっとさせるほど新鮮で鋭い。多様化が進むいまの時代を見据えるには、頭を柔軟に鍛えるほかないことを、十代の子どもが示してくれるとは思いもしなかった。

新潮社 週刊新潮
2019年7月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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