新潮新書『新宿二丁目』刊行記念公開鼎談 伏見憲明(著者)×中村うさぎ(作家)×エスムラルダ(八方不美人)
[文] 新潮社
作家であり、新宿二丁目でゲイバー「A Day In The Life 」を経営する伏見憲明氏と、作家の中村うさぎ氏、そしてセカンド・ミニアルバム「二枚目」をリリースしたばかりのディーバユニット「八方不美人」のエスムラルダ氏という豪華メンバーが新宿に集結。整理券が即完売した爆笑公開鼎談の様子をお届けする。
私たちの知らなかった「二丁目」
伏見憲明(以下、伏見) 皆さん、今日はお集まり頂き有り難うございました。人前に出るから若作りしようと髪を茶色に染めたら、レズビアンバーのママみたいになっちゃって……でも、エスムさんも今日は宝塚感あるわね。
エスムラルダ(以下、エスム) オスカル感、出してみました。
中村うさぎ(以下、中村) ベルサイユのカマ、みたいなね。
伏見 今日はそんな豪華なメンバーで(笑)。ところで『新宿二丁目』、お読みになって正直、どうでした?
中村 私、1958年生まれなんですけど、ちょうど自分が子供だった頃、60年代、70年代にこうだったんだと思いながら読んでいて、面白かったですよ。
伏見 今日はちょうど50年代生まれ、60年代生まれ、70年代生まれが揃ってますね。僕が1963年生まれで、エスムさんが……。
エスム 72年生まれです。
中村 子供だったんで、さすがに「平凡パンチ」は読んでなかったですけど、60年代って少女向け雑誌でも「お嫁に行く前でも、好きな人がいればセックスしてもいいじゃん」的な記事が載ったりしだしたのを思い出しました。60年代は性の解放と共に、性的越境も始まっていた。それこそ、男装のオスカルの『ベルサイユのばら』だってそうですもんね。
伏見 『ベルサイユのばら』の連載は72年からですが、やはり60年代という時代の影響は大きですよね。今回、二丁目を考える上でもその時代を知る必要があって、平凡パンチを読み返してみたんですが、最初は同性愛に関して揶揄するような視点の記事が多いんだろうなと思ったんですが、思っていた以上にきちんと捉えようとしていた。ストーンウォール事件(1969年にアメリカ・NYで起きたゲイ解放運動の起点となった事件)を、おそらく日本で最初に報じたのも同誌でした。よくよく考えてみると、僕が子供の頃って、グループサウンズが流行ってて、オックスの……。
中村 赤松愛、とかね。中性的でしたね。
伏見 そうそう! ミニスカートとかはいたり、髪も長くて。むしろ今よりも中性的な感じが珍しくなかった。そこに政治的な意味もあった。
中村 グループサウンズは衣装も髪型とかも女性的でしたよね。ロングブーツにミニスカート、今で言う美少女戦士みたいな格好して歌ってたりして。
伏見 エスムさんは世代的に知らないよね。
エスム でもジュリー単体は覚えてる。「TOKIO」とか「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」とか、幼心に衝撃的でした。
中村 そうか、当時のジュリーはまさに中性的な典型例だった。
伏見 エスムさんは読んでいかがでしたか?
エスム 本当に読み始めたら止まらなかったですね。あれ以来、古本屋の跡地なんかも、地下道あるのかしらって見ちゃう。
伏見 新宿二丁目の太宗寺近くにある古本屋の地下に穴ぐらがあって、昔は賭場だったんだけど、太宗寺に抜ける地下道があったと。手入れがあるとその地下道から逃げたという話が、二丁目の赤線時代を描いた古い小説に書いてあったんで、この本の冒頭で紹介したんです。僕はそれは本当じゃないかと、今でも思ってます。
エスム ほかにも、三島由紀夫の『禁色』にも登場する銀座のブランスウィックの話とか、夜曲というバーで起きた殺人事件とか、興味深いエピソードが次々に出てきて。
伏見 ブランスウィックに関しては資料だけで書いてしまったので、出版後、ご遺族から「本になる前にお話を伺いたかった」とお叱りを受けてしまって……。配慮もしたつもりなのですが、ご家族の気持ちもありますからね。そこはやはり正面から取材をしておけばよかったかなと反省しています。
中村 夜曲殺人事件のことは、前から知っていたの?
伏見 事件自体は。“カバ姫”と呼ばれていた、ゲイバー・夜曲のママが殺された事件で、雇っていたノンケのボーイに金目当てで殺されたんです。
中村 でも犯人は、男2人で逃げたわけでしょう?
伏見 北海道までね。結局、捕まるんですけど。ノンケの男2人で逃避行。まあ、ゲイだった可能性も否定はできないけど。そして、シレ―という有名なゲイバーのママも、やはり暴漢に殴られて、結果、亡くなってるんです。
エスム 4年前にも、大阪の売り専オーナーがノンケの元ボーイに殺されて、お金を盗まれた事件がありましたね。なんかやるせない……。あと、あの大女優の乙羽信子さんが、二丁目で店のママをやってらしたというのも衝撃でした。
伏見 エスムは「おしん」フリークだものね。あれは古い新聞を、国会図書館でフィルムを回しながらみてて、手が疲れてとめたら、たまたまそのページに載ってたんです。最初は、乙羽信子にも若い頃が! という衝撃で。
中村 当たり前だろ(笑)。
伏見 今のルミエール(二丁目の書店・グッズショップ)の向かいあたりに店はあったようです。その記事だけではなく、今回は膨大な資料を渉猟したんですけど、たまたま手を止めた箇所や、開いたページに「「これは!」という記事が載ってたりすることが多かったんです。
中村 書かされたんですね。神の見えざる手で。私も読んで、二丁目にはこんな歴史があったんだと、しみじみ思いました。
伏見 あと、やはり店をやってるから書けたというのも大きいですね。夜や週末に飲みに行くだけでは、まず街の昼間の様子が判らない。当たり前ですけど、どんな街にも夜と昼があるわけで。今回の取材先である不動産屋さんも、酒屋さんも僕がやってる店、「A Day In The Life 」の取引先ですしね。お店をやらなければ書けなかったとつくづく思います。
エスム いつ頃から、二丁目について書こうと思っていたんですか?
伏見 そもそもは92年ぐらいだから、だいぶ昔ですね。イプセン(二丁目のきっかけを作ったバー)の松浦貞夫さんも、最初はどこにお住まいかも判らなくて、あのあたりのマンションで、同じフロアに有名人の誰それさんが住んでるはず、という伝聞情報を元に、一軒一軒訪ね歩いて、表札で確認しながら、あたりをつけて手紙を出して。ようやく探し当てて、菓子折り持参で伺っても、最初はけんもほろろでした。
中村 菓子折り、大事ね。
伏見 何度も伺って、何年もお付き合いするうちに、ようやくお話して下さったんですが、その頃はまだ自分にそれを書けるだけの実力がなかった。雑誌で短い記事を書いたりはしましたが、一つに膨らませていくことは出来ませんでした。
今回、最初は新潮社さんからLGBTの入門書を書いてくれないかと依頼されまして。昨年の新潮45の件が起きるよりもずっと前だったんですけれども(笑)。でも、そういう本は90年代に書いてるし、今さらなあと思っていたんです。それに店をやっていると毎週のように事件が起きて……客が暴れたりね(笑)。
中村 あるある。
伏見 自分はもう本を書くことはないかなとも思ってたんです。ところが、自分が店に入っても客が呼べないもんだから、人を頼んで平日に入ってもらってるんですが、それだと売り上げが見かけ上はあるから、僕にはお金が入ってこないのに、年度末になると莫大な消費税を払わなくちゃいけなくて。それが払えなくて……書かざるを得ない! と。
中村 税金のために働く、と。正しい姿勢です(笑)。初めて出版社に前借りしたんだって?
伏見 そう。それでもまだ消費税、全部払い終えてない。だから売れてくれないと困る! だけどそのお陰で、書き始めて、いろいろ調べていくと本当に面白くて、筆が止まらなかったですね。
中村 ある意味、本当に二丁目の人になった、なれたんだね。
(続く)
【『新宿二丁目』刊行にあたり、多くの方々に取材等でお世話になりましたこと、心より御礼申し上げます。また今回、取材しなかった関係者の皆さまにはお詫び申し上げます。今後も出来うる限り取材、資料収集を続けていく所存ですので、ご協力頂けましたら幸いです。著者記】