「店のドアを開けた瞬間に値踏」 90年代の新宿二丁目の空気とは? 伏見憲明×中村うさぎ×エスムラルダ公開鼎談(2)

対談・鼎談

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新宿二丁目

『新宿二丁目』

著者
伏見 憲明 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784106108181
発売日
2019/06/17
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

新潮新書『新宿二丁目』刊行記念公開鼎談  伏見憲明(著者)×中村うさぎ(作家)×エスムラルダ(八方不美人)

[文] 新潮社


紀伊國屋書店新宿本店にて行われた鼎談。左からエスムラルダ氏、伏見憲明氏、中村うさぎ氏

『新宿二丁目』刊行記念として行われた作家、伏見憲明氏(新宿二丁目でゲイバー「A Day In The Life 」を経営)と、作家の中村うさぎ氏、そしてディーバユニット「八方不美人」のエスムラルダ氏による爆笑鼎談の第二弾。三人の「二丁目」デビューは三者三様だったようで――。

初めての二丁目


ディーバユニット「八方不美人」のエスムラルダ氏

エスムラルダ(以下、エスム) 伏見さんが小説を何冊か書かれた後だったせいか、新書でありながら、文章がとても文学的で、それも読みやすい理由の一つでした。どれぐらいの期間で書かれたんですか?

伏見憲明(以下、伏見) 書いたのは正味で2ヶ月ぐらい。これ、最初は原稿用紙で300枚ぐらいあったんです。最近は1200字の書評原稿でもヒーヒー言ってたのに、本当に「あれ、書けちゃった」という感じでした。この本のために改めて取材した期間は、1年ぐらいですが、松浦さんの取材なんかを含めると、それこそ何十年の集大成になりますね。大抵の人は快くインタビューを受けて下さるんですけど、中には「昔のことは知りません」と仰る方もいて……それでも、きちんとした研究書があった方がいいし、書き残した方がいいと僕自身思いました。
 この本には70年代以降の詳細は書いていないんですけど、その頃の面白いエピソードなども、読者の方や、周囲の方々から次々に寄せられています。
 たとえばクロノスという老舗バー、ロラン・バルトなどが来ていた名店で、そこに勤めてた方が教えてくれた話ですが、オーナーのクロちゃんが、昼間は自宅を開放して、二丁目を引退した赤線時代のおばちゃんたちと、一種のサロンみたいな空間を形成していたというんですね。

中村うさぎ(以下、中村) 遊郭があった時代、着付けのお師匠さんとして働いていたゲイの方もいたという話がこの本には出てきて、なるほどなあと思ったんですが、色町には彼らを受け入れる下地みたいなものや親和性があったんでしょうね。

伏見 ところで、お二人が新宿二丁目に初めて来たのは、いつだったんでしょう。

エスム 私は92年の5月。ちょうど20歳の時です。それまでは、自分がゲイだということを受け入れられていなくて。今はこんなですけど(笑)。


新宿二丁目でゲイバー「A Day In The Life 」を経営する伏見憲明氏

伏見 素敵なベルばら女装で(笑)。

エスム 当時はゲイの友達もいませんでした。『桃尻娘』(橋本治著)とかは読んでいたので、新宿二丁目という街があることは知っていたけど、ネットもない時代だったので、なかなか情報が得られず……。でも、大学生になって、同性が好きだという気持ちを一人で抱えているのがしんどくなった頃、「週刊SPA!」という雑誌に「新宿二丁目ヌーベルバーグ」みたいな記事が載っているのを見つけたんです。「SPA!」は一般向けの雑誌だから買いやすかったんですね。
 その記事を読んで一念発起し、5月の最終土曜日に、多摩の奥地から新宿二丁目を目指したんですが、なかなか店に入る勇気が出ず、うろうろと歩き回るうちに夕立ちが降り出して。新宿御苑の駅でしばらく雨宿りをしてから、意を決して二丁目へ戻ったら、街全体に靄がかかり、街灯に照らされながら、生まれて初めて見るたくさんのゲイたちが行き来していました。それはそれは幻想的で美しい光景で、その瞬間私は二丁目という街に恋をしたんです(笑)。ただ、どこの店に入ればいいかわからず、路上で人の動きを観察していたら、近くにやたら若者が出入りしているお店がありました。

伏見 当時の、いけてる若い男性のたまり場的な店でしたね。

エスム 若いゲイの登竜門的な。勇気を出して入ってみたら、ブルーライトに照らされた空間にMTVが流れてて、そのお洒落さにまた感動して(笑)。しばらく一人で飲んでいたんですが、他にも一人で飲んでいるお兄さんがいたので「すみません、初めて二丁目に来たんですけど、話し相手になって貰えませんか」と思いきって声をかけました。ところがそのお兄さん、最初は爽やかな感じだったのに、ドヤドヤとお仲間が入って来たとたん、いきなり「ちょっと、あんたたち! この子、二丁目初めてなんだって!」と、オネエもオネエな感じに豹変。そのお仲間の中には「18歳で、すでに70~80人と経験した」という子もいて、オクテだった私は、その日は「なんて穢れた街!」と心の中で泣きながら撤退しました(笑)。

伏見 じゃあ、そのお兄さんが初めての相手とかではなく。

エスム 二丁目初戦は大負けです(笑)。

中村 オネエどもに負けた(笑)。

エスム でも数か月後、ある真面目な団体にアクセスし、そこでゲイの友だちができて、少しずつ二丁目にも行くようになりました。

伏見 人権を背景に、今度こそオネエに負けないように、と。

エスム そう(笑)。ちなみに当時は、店のドアを開けると、お客さんの視線が一斉に集中して、あからさまに値踏みされるという文化がありましたよね。今はだいぶソフィスティケイトされて、あんなに露骨ではなくなったけど(笑)。

伏見 よく出来た店だと、入り口をうつす鏡が店内にあって、振り向かなくてもどんな子が入ってきたか見えるようにしてあったりね。僕が入ったら、パッと見られてすぐパッと視線が戻っていく(笑)。

エスム 顔を見られた瞬間に、店中の人の興味が一気に200メートルぐらい先に、さーっとひくように見えましたもん。ここは遠浅の海か! みたいな(笑)。


作家の中村うさぎ氏

中村 あんたたち、判りやすいからねえ……。

伏見 僕もMAKOII(二丁目のディスコ)にデビューしたのが17歳だったんですけど、若けりゃもてるってものでもなくて、やっぱりかわいくなきゃもてないんですよね。もう入って一瞬で関心を失われちゃって。

中村 17歳なのに71歳みたいな扱い。

エスム 学生服着ていったら、扱い違ったかもしれませんよ(笑)。でも、あの頃を思うと、年とってきた今はむしろ楽ですよね。「若いのにもてない」というのが一番しんどいから(笑)。

伏見 エスムはもてなくて辛い思いもした二丁目に対して、恨み辛み、みたいのはなかった?

エスム それが不思議となかったんです。最初に見た、靄に包まれた幻想的な光景が、今でも強く心に残っていて。私、どうしても二丁目を嫌いになれないんです(笑)。

伏見 エスムとは「魔性子(ましょこ)研究会」っていうのをやってて。魔性の店子とか、二丁目のイケメンたちが頂点に登りつめて落ちきるまでを見届けるっていう。ブスにはそんな楽しみもあります(笑)。

(続く)

【『新宿二丁目』刊行にあたり、多くの方々に取材等でお世話になりましたこと、心より御礼申し上げます。また今回、取材しなかった関係者の皆さまにはお詫び申し上げます。今後も出来うる限り取材、資料収集を続けていく所存ですので、ご協力頂けましたら幸いです。著者記】

新潮社
2019年8月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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