今回の芥川賞で「目玉」となった古市憲寿2作目の上達ぶりに注目〈トヨザキ社長のヤツザキ文学賞〉

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百の夜は跳ねて

『百の夜は跳ねて』

著者
古市 憲寿 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103526919
発売日
2019/06/27
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

今回の芥川賞で“目玉”となった「古市」の二作目

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 七月十七日に結果発表されたばかりの第一六一回芥川賞&直木賞。どの作品が受賞しているか、十一日にこの原稿を書いているトヨザキにはわかっていません。直木賞は、候補に挙がった作家が全員女性という賞創設以来初となるケースで盛り上がったわけですが、芥川賞の目玉はといえば、やはりこの人、前回に続き、「百の夜は跳ねて」で二度目のノミネートとなった古市憲寿でありましょう。

 主人公は、子供の頃からずっと良い成績をキープしてきたのに就活がうまくいかず、なかば自暴自棄でガラス清掃を専門としている会社に入って二年目を迎えている〈僕〉。いつものように超高級高層マンションの窓を拭いていると、そのうちの一室に住む〈老婆〉と目が合います。

 彼女が窓の内側にルージュで記した、〈3706〉という数字が部屋番号だと察し、帰宅後に彼女を訪ねていく〈僕〉。〈3メートルはあるだろう高い天井のリビングには、とにかく様々な箱が並べられているせいで、床はほとんど見えない〉異様な家。そこで〈僕〉は、ある奇妙な高額の謝礼がともなう頼み事をされ――。

 前回ノミネートされた「平成くん、さようなら」は、安楽死法が成立したという設定の架空の日本における、タワーマンションに住む若者の話で、今回はその外、ビルの窓拭きの仕事をしている若者を主人公に、リアルな今の日本を描いているのが、すさまじく戦略的。正直鼻白んだのですが、しかし、読み進むにつれ瞠目。前作から飛躍的に巧くなっているんです。

 内面描写が丁寧になっていて、しかもそこに、主人公にしか聞こえない、仕事中に転落事故死した先輩の声を挿入。前作における情報伝達文の域を出なかった、のっぺりした文章が豊かに変容しているんです。技巧面の向上もさることながら、わたしが古市小説最大の美点と思っているナイーブさも、ただエモかった「平成くん、さようなら」と比べ格段に上質な形で維持されているのが素晴らしい!

 短期間でのこの上達ぶりは目覚ましいというべき。受賞できていようがいまいが、古市さん、どうぞ小説を書き続けてください。

新潮社 週刊新潮
2019年7月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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