『虫の文学誌』
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てふの出て舞ふ朧月
[レビュアー] 奥本大三郎(フランス文学者/作家/NPO日本アンリ・ファーブル会理事長/埼玉大学名誉教授)
『完訳 ファーブル昆虫記』で第65回菊池寛賞を受賞した、フランス文学者でNPO日本アンリ・ファーブル会理事長の奥本大三郎さん。フランス文学者として活躍している奥本さんですが、幼少期は昆虫学者になりたかったそう。数多の文学作品から、虫に関わる箇所を抜き出し、人間とは何かを考察するエッセイ『虫の文学誌』を発売。松尾芭蕉の弟子、内藤丈草の句「大原やてふの出て舞う朧月」に詠まれた、“てふ”は本当に蝶だったのでしょうか……?
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小学生の時は、昆虫学者になりたいと思っていた。その当時の九州大学に、江崎悌三という教授がいて、その先生の弟子になれればなあと思った。小学五年生ぐらいの時のことである。
中学に入ると、家で平凡社の『中国古典文学全集』を取ってくれたので、それを片っ端から読んでいるうちに中国文学もいいな、と思うようになった。
ちょうど兄貴の一人が、京都大学に入って、中国文学の吉川幸次郎とか、フランス文学の桑原武夫、同じくフランス文学の伊吹武彦というような先生方の著書を家に持ち込んできたので、私までもが、わからぬなりにそれを読んだ。
中学一年の時の国語の先生は、青山美也子といって、小柄な美人で、若いのに化粧の濃い、香水の匂いのぷんぷんするような方だったが、その先生が私を贔屓にして、ヘッセだとか、シュトルムだとか、ドイツの小説を貸してくれ、ドイツ文学に憧れた。
こう、思い出してくると、子供だから仕方がないとはいえ、甚だ定見がない。
しかし虫は、ずっと好きで、いまだに、何を見ても虫を連想する。途中を省略すれば、結局、フランス語、フランス文学の教師になって、そんなようなことを無抵抗な学生に教えながら、文学の中に登場する虫の話などを、楽しんで読み、自分で思いつくことどもを書く、という生活を送ることになった。
虫のことばかりを考えていると、たとえばこんなことになる。
江戸時代の俳人で、松尾芭蕉の弟子、内藤丈草(一六六二~一七〇四)の句に、
大原やてふの出て舞ふ朧月
というのがあり、この句をどう、解すべきかと、様々な説が出る。
「蝶が朧月夜に出て舞うのは変だ」という人もあり、「いやいや、そうではない、昼間飛ぶと決まっている、その蝶が浮かれ出て舞うほど、それほどに、朧月夜が明るく綺麗なのだ」という人もある。
「“てふ”という言葉を、昼間の蝶とのみ解するのは、間違いですよ、古くは、蛾のことも“てふ”と言っていますよ。ちょっと前まで“蚕のてふ”などと言いましたから」
と、知ったかぶりをする人もいるであろう。
ここで、「では、その蛾の種名を特定できますか」などと、野暮な意見を述べたくなるのが、かく言う私であって、春先に出て朧月夜にあくがれでるような、つまり、このイメージに合う舞い方をするのは、オオミズアオに違いない、と断定したくなるのである。
オオミズアオは、ヤママユガ科に属する大型の蛾で、その名の通り、水青色の、夜でもよく目立つ色をしている。
それと、大原という土地が問題。丈草のような文人の場合、大原といえば、『平家物語』を思い出したことであろう。清盛の娘、徳子が、壇ノ浦の敗戦に、「いまはこれまで」と入水しながらも命を助けられ、出家して建礼門院として余生を過ごしたところである。
だから、ここは、オオミズアオの姿を借りて朧月夜にひらひら舞い出てきた建礼門院の霊魂、と、我々虫屋は解く。
ところで、と虫屋の好奇心は続く。「蛾」という字には訓読みがあるのか?「ガ」は音読みだろう。普通の日本語では「ひひる」とか「ひとりむし」といっていたのではないか。
そう思って、辞書によって、文献での用例を調べてみると『太平記』が挙げてある。そして、この字の訓読みなるものは、やはり辞書には出ていない。音読みの「ガ」で、使われているのである。『太平記』あたりが「蛾」という言葉の最も古い用例の一つだったらしい。そしてその語は当時、漢語の響きを持った、いわゆるハイカラな言葉だったようである──というような話を集大成したのが本書である。