『ルネ・シャール詩集』
- 著者
- ルネ・シャール [著]/野村 喜和夫 [訳]
- 出版社
- 河出書房新社
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784309207742
- 発売日
- 2019/07/19
- 価格
- 3,190円(税込)
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ふところに詩を、たたかう
[レビュアー] 斉藤斎藤(歌人)
おもしろいのが、断章形式の詩だ。237章から成る「眠りの神の手帖」(抄)では、「行為は処女である、たとえ繰り返されても」とか「ある種の状況においてもっとも大切なのは、タイミングよく陶酔を抑えるということである」といったアフォリズムが積み重ねられる。この二つならまあ教訓を引き出せそうだが、読みすすめると、ちょっと何言ってるかわからない章も出てくる。
たえずおのれの糞便より先をすすんでいるような、そういう人間が存在する。
どういう人間? これまでの自作はうんこ。代表作は次回作だ、とか言いたがるアーティストのような? などと解釈しようとする、前に映像が浮かんでしまう。排泄をしながら歩くとしたら、ほとんどの人が「おのれの糞便より先をすす」むのではないか。便のうしろからついてゆくような人間? すすみたい向きにお尻を向けて、後ずさりしながら? などと、妙に具体を考えてしまう。
さらに読みすすめると、やや長めの、掌編小説のような断章があらわれる。舞台は戦場のようである。
恐ろしい一日! わずか数百メートル離れたところから、Bの処刑を目撃した。私は軽機関銃の引き金を引きさえすればよかったのだ。そうすればBは助かっただろう。(略)私の周囲のいたるところから、攻撃開始の合図を懇願している視線を感じたが、私は頭をふり駄目だと答えた……(略)私が合図をしなかったのは、この村がどんな犠牲を払っても救われなければならなかったからだ。ひとつの村とは何なのか。何の変哲もないひとつの村とは。たぶん彼は、あの最後の瞬間に、そのことを知っていたのではないか。
野村喜和夫の解説によると、シャールは大戦中、ドイツ占領下のフランスでレジスタンスに身を投じた。運動のさなかノートに書きつけた断片を戦後、断片のまま一篇にまとめたのが「眠りの神の手帖」なのだという。
この村はなぜ名前を奪われ、「何の変哲もないひとつの村」と書かれたのだろう。Bを見殺しにすることで救われた、という重荷を村に負わせないため、そして、ひとつの命と、命をめぐる罪悪感と引き換えに残された村があり、戦後のフランスはそのような村から成ることを、忘れないためかもしれない。
こう考えてゆくと、断章形式の必然が見えてくる。現実を捨象し、詩的で抽象的で凝縮された断片から世界を組み立てなおす方法は、きびしい現実との揉み合いからこそ生まれてきたのではないか。そんな気がしてくる。
シャールの詩を、純粋に詩としてたのしむことも、詩が現実から立ち上がる経緯ごとたのしむこともできる、好編集の一冊。