ステレオタイプを解きほぐす多面的で繊細なストーリーテリング
[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)
ひとつの出来事が示す真実はひとつじゃない。だが同じ視点で繰り返し語るうち、世界の姿はいつのまにか膠着してしまう。そんな「シングルストーリーの危険性」に対し、とびきりのウィットとしなやかな感性で挑み続けているのが、アフリカ人作家として初の全米批評家協会賞を受賞したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェだ。O・ヘンリー賞受賞作品をはじめ出色の短篇が集められた『なにかが首のまわりに』は、彼女の特徴のひとつである繊細なストーリーテリングがとくに際立っている。
民族紛争、政治腐敗、そして貧困。それらは確かに「アフリカ」の現況の一側面を示す重要なキーワードであり、本作においても当然背景に織り込まれている。けれどアディーチェの綴る物語は、むしろそうしたステレオタイプな思考を丁寧に解きほぐしていくのだ。
例えば、敢えて二人称で語られる表題作は、ナイジェリアのラゴスからアメリカのコネティカットに渡ってきた若い女性が主人公。人びとは彼女の髪に無邪気な好奇の目を向け、彼女が英語を流暢に話せることを面白がる(ナイジェリアの公用語は英語なのに)。「自分は理解がある」と思っている者ほど、自らの無知と傲慢に気づけない。〈わかるなんてことはない、ただそうだってことで、それだけ〉。なにげない台詞の鋭さが読者の視界の昏い部分に楔を打ち込む。
同じくナイジェリアの作家、チヌア・アチェベの最高傑作『崩れゆく絆』(光文社古典新訳文庫)は、「未開の地・アフリカ」という誤った固定観念だけでなく、入植者たちの「支配」のイメージをも解体していく。マジョリティにとっては篡奪や破壊でも、弱者にとっては福音となり得ること――浮かび上がるのは現代にも通じる多面的な真理だ。
「黒人であり女性」という、ある意味マージナルな立場から発言し続けてきた偉大な作家といえばトニ・モリソンやアリス・ウォーカーの名が挙がるが、藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』(岩波現代文庫)の複層的な声の力にもぜひ触れてほしい。