『羊たちの沈黙』『ハンニバル』の著者トマス・ハリスが、13年ぶりの新作の誕生秘話とハンニバル・レクター博士の復活について語る

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カリ・モーラ

『カリ・モーラ』

著者
トマス・ハリス [著]/高見 浩 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102167106
発売日
2019/07/26
価格
979円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

トマス・ハリス『カリ・モーラ』刊行記念インタビュー 猟奇の観察者 

[文] アレクサンドラ・オルター


トマス・ハリス

四十年以上インタビューを拒んできた『羊たちの沈黙』『ハンニバル』の巨匠が、ついに口を開く。新たな傑作『カリ・モーラ』誕生秘話、そして怪物ハンニバル・レクター博士の復活について!

 ***

 小説の世界を賑わせたきわめつきのモンスターの生みの親、トマス・ハリス。いま活躍中の作家たちの中で、彼くらい薄気味の悪い想像力の主はいないと見られたとしても不思議ではない。ハリスの生んだ悪名高き連続殺人犯ハンニバル・レクターは、犠牲者の内臓を念入りに調理したうえでむしゃむしゃ食べてしまう。一度などは生きたままの犠牲者の脳髄をとりだし、その切り身にトリュフをふりかけてからケッパーを添えて賞味したこともある。

 それくらいだから、当のハリスが、いや、自分は決して何か新しいアイデアを生み出したわけではない、と語るのを聞くと、どこか腑に落ちないものを感じる。

「わたしが、何か新奇なものを生み出したなんてことはないね」マイアミの七十九丁目コーズウェイを渡る車中で、ハリスはそう語るのだ。ビスケーン湾を横断するこの道路はバード・キーと呼ばれる小さな島を横目に走っているのだが、この島はハリスの新作『カリ・モーラ』のクライマックス・シーンの舞台でもある。「すべては現実に起きたことなんだ。わたしが考えついたことなど一つもない。いまの世の中、何かをむりにこしらえる必要なんかないんだよ」

 今年七十九歳になるハリスは、小説のプロットや登場人物の誕生の秘密について私がたずねるたびに、そのセリフ、ないし、それを若干言い替えたセリフで応じる。それは、私の予想していたどんな答えよりも奇異に響く。つまり、その答えに従えば、ハリスという作家はことさら猟奇的な想像力の主というわけではなく、ただ単に、人間とその陰惨至極な衝動の観察者にして記録者にすぎない、ということになるのだから。

 過去四十五年近くにわたって、ハリスは一連の不気味な小説で読者を震え上がらせてきた。総売り上げ部数五千万部を超えるそのシリーズは、小説史上忘れがたい悪漢の一人、ダース・ヴェイダーやドラキュラにもひけをとらない悪漢の一人を世に送りだした。が、その生みの親であるハリス本人やその創作のプロセスについては、これまであまり知られていない。それはハリスが、著者サイン会のような、自著のセールス・プロモーションのたぐいを一貫して忌避していることも一因だろう。それにハリスは、一九七〇年代半ば以降、実質的なインタヴューにも一度として応じたことがない。すべては自分の作品に語らしめる、というのが彼の主義だからだ。

 この沈黙は、モンスターの背後にひそむ生みの親に対する大衆の興味をいやがうえにもつのらせてきた。ハリスの十三年ぶりの新作『カリ・モーラ』の最も驚くべき点は、したがって、ハリスがこの新作について喜んで語ろうとしているという事実ではないだろうか。

「人間というやつは、ときに自分をつくり直したくなるんだな」と、ハリスは語る。

 その言葉通り、『カリ・モーラ』はハリスの新たな出発を告げる作品となっている。一九七五年のデビュー作『ブラック サンデー』以来初めて、彼はハンニバル・レクターの登場しない作品を書き上げたのだ。と同時に、ハリスはここ三十年来暮らしてきた、第二の故郷とも言うべき街マイアミを、初めて作品の中心舞台に据えている。それによって、年来彼の頭に重くのしかかってきた、移民や避難民の苦難という問題をも掘り下げることができたのである。

 この新作のヒロイン、カリ・モーラは、南米コロンビアから移住した難民の一人で、マイアミ・ビーチにある、かつての“麻薬王”パブロ・エスコバルの遺した大邸宅の管理人として暮らしを立てている。その胸には常時、いま認められている一時的滞在許可がいつ移民局に取り消されはしないか、という不安がひそんでいる。そして、物語が幕をあけると、カリはその大邸宅の地下に隠された金塊を奪い合う二つの犯罪組織の争いに巻き込まれてしまうのだ。

「いまもときどき、ハンニバル・レクターが頭に浮かぶことがあるよ。どうしろと言ってるんだろうな、彼は、と思うこともある。でも、こんどの作品では、マイアミという街を正面から描きたかったんだ。そこで暮らす人々や、彼らが直面する争い。新たにこの街に渡ってくる人たちの夢と希望をね」ハリスは語る。「そこではだれもが、まったく別の人生を切り拓きたいと渇望しているのさ」

 ハリスと対面したのはよく晴れたむし暑い朝、場所はビスケーン湾に臨む動物保護センター、〈ペリカン・ハーバー・シーバード・ステーション〉の駐車場だった。そこはこんどの新作でも大きな役割を果たしている施設で、ヒロインのカリもそこで傷ついた鳥の介護にあたっている。

 自然愛好家のハリスは、過去二十年、ほぼ定期的にこのセンターを訪れてきた。そこにみなしごのリスや、傷ついたトキを持ち込んだり、そこで催される野生動物介護教室に参加したりもしている。この教室では、死んだフクロネズミを練習台にして、瀕死の動物に応急手当をする方法なども学ぶという。

 この日、ハリスはセンターの所長やスタッフと挨拶を交わし、先日見かけた傷ついた動物のその後についてたずねた。「あの日はね、ここでフクロネズミが眠っていたんだ」

 異常性格者や連続殺人犯の生みの親であるハリスが、実は病んだ動物たちを気遣うような人間だと知ったら、作品でしか彼を知らない者はだれしも呆気にとられるだろう。だが、素顔の彼を知る人間にとって、それは別段驚くようなことではない。

 めったに私生活を人目にさらすことのないハリスだが、J・D・サリンジャーやトマス・ピンチョンのような隠遁者タイプともちがう。余暇には絵を描いたり、手の込んだ料理をしたり、友人たちと夕食を楽しんだりする。自宅はマイアミ・ビーチの海際にあり、その庭先でのんびり寛いで、さまざまな動物たちの生態を観察してすごす。トキ、フクロネズミ、イグアナ、それにイルカやマナティーを目にすることも多い。夏場は長年のパートナーであるペイス・バーンズと共に、もう一軒の自宅のあるロング・アイランドのサグ・ハーバーですごす。

アレクサンドラ・オルター/[訳]高見浩 ©2019 The New York Times

新潮社 波
2019年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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