立ち居振る舞いから言動まで、武家の娘を完璧に描けるのは藤原緋沙子だけ

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龍の袖

『龍の袖』

著者
藤原緋沙子 [著]
出版社
徳間書店
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784198648824
発売日
2019/07/10
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

龍馬を生涯想い続けた武家娘「佐那」を“凛として”描く

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 本当の武家の娘を描くのはむずかしい。描き過ぎてもいけないし、ことば足らずでもいけない。ちょうどいい按配の中に、凛とした佇まいを読者の胸中に刻印する。

 私がこんなことを書いたのも、この一巻の主人公が、坂本龍馬を生涯想い続けた北辰一刀流千葉道場の主・千葉定吉の二女・佐那だからである。

 龍馬への愛は、当然のことながら佐那の視点から描かれるが、その立居振舞から言動まで、いまここまで武家の娘を完璧に描けるのは藤原緋沙子しかいないだろう。

 題名にある“龍の袖”とは、佐那が仕立てるはずだった龍馬の袷の袖―そこには、龍馬の家紋である桔梗紋が縫い込まれており、真ん中を幅一寸ほどの美濃紙で巻き止めた、佐那の艶のある黒髪をそれで包んであった。すなわち、二人の愛の証しである。

 そして佐那は、この袖を三十年間想い続けるのだ。

 この一巻における二人の純愛については、むしろ、これだけ書けば足りる、という気がしないでもない。完璧なものをいくら完璧だと繰り返しても、それは、読者を鼻白ませるばかりだからだ。

 さらに魅力的に描かれているのは、脇の登場人物である。たとえば土佐勤王党の武市半平太は颯爽と登場するが、その部下、“人斬り以蔵”こと岡田以蔵のことを佐那は、「―この人の身体からは死の臭いが漂っている」と思ったものの、次の場面では「佐那は門に向かった。開いたままになっている門を閉めようとしたのだ。/だが、門に手を掛けてふっと表を見て、息を詰めた。/以蔵が二間ほど先の塀の際で泣いていたのだ。二の腕を目に当てて、以蔵はむせび泣いていた。/佐那は門の陰に身を隠した。そして思った。/―あのような人は他にもいるはずだ。殺し合いは身分の低い者がやらされる。/いつの世も、身分の低い末端の者が犠牲者になるのだと―」(傍点引用者)と考えざるを得ない。

 たまらないではないか。

 私は本書に登場する脇の人物の中では、この岡田以蔵がいちばん好きだ。

 そして、佐那の慈愛は、坂本龍馬の正妻に収まってしまったお龍にも注がれていく。「―お龍という人も維新の犠牲者かもしれない……」と。

 そして、約三分の一を費やして書かれる、龍馬の死後の佐那の凛とした生き方も変わらない。

新潮社 週刊新潮
2019年8月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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