出口治明特別インタビュー ロビンソン・クルーソーの「時代精神」とは――D・デフォー『ロビンソン・クルーソー』(新潮文庫)

インタビュー

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ロビンソン・クルーソー

『ロビンソン・クルーソー』

著者
Defoe, Daniel, 1661?-1731鈴木, 恵, 1959-
出版社
新潮社
ISBN
9784102401316
価格
781円(税込)

書籍情報:openBD

出口治明特別インタビュー ロビンソン・クルーソーの「時代精神」とは――D・デフォー『ロビンソン・クルーソー』(新潮文庫)

[文] 新潮社

『ロビンソン・クルーソー』といえば、まず思い出すのは大塚久雄です。岩波新書の『社会科学の方法――ヴェーバーとマルクス』と『社会科学における人間』。この二冊の本で大塚さんが『ロビンソン・クルーソー』を論じて、非常に有名になった。僕もなるほどと腹に落ちた記憶があります。

 でも最初に読んだのは、講談社の『少年少女世界文学全集』全五十巻の一冊でした。小学校六年生か中学一年生でしたが、毎月配本されるのが待ち遠しいシリーズで、夢中になって読みましたね。

――無人島を舞台にした冒険物語ですが、最初の印象は?

 確かに冒険物語なんですが、僕の第一印象は、「えらいきっちりした人やな」と。例えば、無人島暮らしをするのに、彼は暦を作るんです。普通に考えたら、無人島では暦なんか必要ないじゃないですか。怠けものの僕だったら、食べて寝てのんべんだらりと暮らしますよ。ところが、この人はえらい働き者で毎日規則正しい生活をおくっている。禁欲的なまじめな人やなという印象でした。その疑問が大学に入って大塚さんの本を読んで、氷解したわけです。

――禁欲的というのはどういうことでしょう?

 要するにカルヴァン派の「予定説」です。カルヴァン派の時代精神が、ロビンソンに反映されているということだと思います。

 どういうことかといいますと、カルヴァンはご存じのように、宗教改革の指導者の一人です。もう一人はルター。この二人はかなり違います。平たく言うと、ルターは「聖書に帰れ」ということを主張した。聖書をキリスト教の基本として、ローマ教会に批判を加えたのです。

 当時、ローマ教会は「この世で善行を積めば天国に行ける。悪行をすると地獄に落ちるぞ」と教えていた。問題なのは、この場合の善行の象徴がお布施だったことです。善行か悪行かはローマ教会が判断するから、善行は即ちお布施を積めということだったわけです。

 これに対して、カルヴァンは凄かった。彼は、「天国に行けるかどうかは、人間が生まれる前に神様が決めている」と断言したのです。これがいわゆる「予定説」です。つまり、ローマ教会に行ってお布施を積んでも、何の意味もないということです。これは大変な爆弾でした。

 さらにもう一つ、大事なことがあるんです。

 それは、神様が天国行きを決めているなら、現世では何をしてもいいことになると肯定したことです。僕だったら、そんなら遊べばええやんと思いますが、カルヴァン派の人たちは違った。自分たちは神に選ばれた選良だから、天国に行くことは間違いない。だから、とことん働く。それが自分を選んでくれた神さまに叶う生き方だと考えるんですね。結果、非常に生真面目で、規則正しく、事業(金儲け)に邁進する人間が登場したのです。

 この点も、金儲けを基本的には悪と考えたローマ教会とは違う。カルヴァン派にとっては、働いて儲けることは悪

でも何でもなく、神の財産だと考えるのです。何一つやましいことはないし、金儲けして何が悪いかということになる。その代わり、財産は社会全体のものだから分け与えないといけない。この根本精神は、資本主義にぴったりなんですね。

――作中でカルヴァン派の予定説だと思った箇所はありますか?

 例えば一四九頁。神について考えているくだりです。

「ごく自然に、すべてを創ったのは神だという答えが出てきた」

「神の創ったこの広い世界に起こることはすべて、神の知っていることであり、定めたことだということになる」

 これはカルヴァン派らしい考え方で、時代精神を見事に反映していると思いますね。勤勉で禁欲的で自信に満ち、自己と現状を肯定する新興階級。これが台頭するなかで、大英帝国が勃興していく。旧弊に囚われない自由で躍動的な時代です。

 ロビンソンが「蛮人」と遭遇したり、フライデーという黒人を啓蒙する場面、あるいは、物語の最後でまたしてもロビンソンが航海に乗り出して、冒険を始めるあたりにも、デフォー(一六六〇―一七三一)が生きた時代精神というものが読み取れると思います。のちに産業革命が起きたとき、その主要な担い手はピューリタン(カルヴァン派)なんですが、ロビンソンは、まさに時代の典型を表しているんじゃないでしょうか。

 ちなみに、こうした現状礼賛型とは逆の典型が、スイフト(一六六七―一七四五)ですね。スイフトの『ガリバー旅行記』は時代に対する鋭い風刺に満ちています。

 三百年もの長い間、『ロビンソン・クルーソー』が読み継がれてきたのは、その時代の精神を知ることができる上に、ストーリーとしても面白くてわくわくするからでしょう。一人で無人島に流れ着くなんて、どう考えても面白い。人間は集団生活をするのが本性ですが、反対に孤独も求めます。つまり人間の普遍的願望を描いている。現代まで残っている古典が面白いのは、それぞれ確かな根拠があるんですよ。

新潮社 波
2019年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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