周りから浮いてる気がする? そんな時は「快・不快スイッチ」を起動しよう
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
世の中には、人のためについがんばってしまう「いい人」がいます。
しかし、そういうタイプの人は、「いい人」になればなるほど損をしたり、まわりと違う扱いを受けてしまったり、嫌われてしまったりするものでもあります。
問題は、そういう人の心のどこかに「『いい人』をやめたら、周囲の人が離れていってしまうかもしれない」という恐怖心があること。
そのため、なんとか脱却しようと決意しても、結局はまた「いい人」に逆戻りしてしまうわけです。
心理カウンセラーである『「ひとりで頑張る自分」を休ませる本』(大嶋信頼 著、大和書房)の著者は問題視しているのは、まさにその点。
そこで本書においては、「『いい人』をやめたいけれど、自分ではどうすることもできないのかもしれない」と悩んでいる方のために、そこから抜け出して楽になる方法や考え方を明かしているのです。
この本は、相手のことばかり考えすぎて、疲れてしまったり、自分中心に生きられない、そんな人のために書いたものです。
嫌われることは怖いですか? 人のために何かしないと落ち着きませんか?
それはどれも思い込みです。 そんなものがなくても、あなたはすでに愛される価値のある人間です。 (「はじめに」より)
きょうはそのなかから、第2章「『快・不快』スイッチを起動させる」に注目してみたいと思います。
果たして、「快・不快スイッチ」とはなんなのでしょうか?
「快・不快スイッチ」を働かせる
人に気を遣っているのに「自分だけ浮いている気がする…」と感じるのだとしたら、それはなぜなのでしょうか?
著者によれば、そこには「快・不快」という本能的な感覚が影響しているのだそうです。
集団のなかにいても、「快・不快」の感覚に従ってその場にいられる人は、ストレスなく「みんなと一緒にいて楽しい」と感じることができるもの。
ところが「いい人」はまわりの人に気を遣ってしまうため、自分自身の「快・不快」で行動を選択できないというのです。
そのため、どんどんストレスがたまり、「他の人は楽しんでいるのに、自分だけがストレスから逃れられない」と、損しているような気持ちになるということ。
そして、そんな状態のまま相手に合わせようとすればするほど、まわりは変な雰囲気になり、場の空気が白けてしまうわけです。
いわば、「いい人」を演じるばかりで、相手の「快・不快」に従って動いているということ。
でも、自分の「快・不快」を軸にして動いたり話題に入ったりしない限り、本心に嘘をついていることが相手に伝わってしまい、「あの人だけ私たちと違う」と認識され、浮いてしまうことになります。
だから著者は、そういう人のためにひとつのことを提案しているのです。
自分の「快・不快」にしたがって「お! それわかる!」という「快」のポイントだけ反応して「不快」な時には反応しなくしてみましょう。
すると、「仲間だ!」と周りのみんなが認識してくれるようになり、「浮いている」ということはなくなります。(47ページより)
ところが「いい人」にとってはそれが難しく、どうしても人の「快・不快」を考えてそれに合わせてしまいがち。
その結果、浮いている感じがしてしまい、みんなから見捨てられないように、「いい人をやめられない」という状態に陥ってしまうというのです。
しかし、それは「快・不快」のスイッチが鈍っているだけにすぎないのだといいます。
長年、自分の「快・不快」スイッチを使っていないとしたら、コツをつかむまでに少し時間がかかるかもしれません。
しかし、それができるようになると、「これは普通の人の感覚なんだ」ということがわかるはずだといいます。(44ページより)
断らないと相手に「快・不快」が伝わらない
「いい人」は、「これをやったらあの人が喜ぶかな?」「あの人のためになるかな?」など、相手の「快・不快」スイッチを想像して行動しているもの。
しかし相手には「いい人」の「快・不快」スイッチの反応がわかりませんから、どれだけ気を回しても「同じ人間として認識されない」という可能性があるわけです。
それだけではありません。
「いい人」本人も、常に相手の「快・不快」スイッチを考えてやっているので、相手から感謝されたとしても自分自身の素直な「快」の反応を返すことができなくなってしまうのだとか。
また、普段から自分の「快・不快」スイッチを働かせていないのですから、たとえば人から頼まれごとをされて「え~」と嫌がって見せても、あるいは「その仕事はちょっと自分には…」と「不快」の反応を示したとしても、相手に伝わらない可能性があります。
「断ったら相手はどんな反応をするだろう?」と相手の「不快」を意識しすぎてしまうから、余計に「不快」が伝わらず、結局は仕事を押しつけられてしまうことになるというのです。
でも、そこでがんばったとしても、そもそも「不快」が伝わらないのですから、あまり意味をなさないでしょう。
それどころか誰からも理解されず、本当の意味で感謝されずにどんどん疲弊し、やがて「いい人」は負債感に埋れてしまうかもしれないというのです。
「いい人」が負債感から抜け出すには、「不快なことをしない!」と決めればいいんです。
「断ったら相手がどんな気持ちになるのか?」ということを一切考えないで自分が「不快」と感じたら「やらない!」と断ってみると、「あ、だんだん自分の感覚がわかってきた!」となる。(52ページより)
人の気持ちばかりを考えていたからわからなかった、自分の「快」の感覚がわかってくるということ。
すると、「あ、これやってみたい!」というような気持ちが湧いてきて、実際にやってみたら「お、前と違って人からの評価が上がった」ということになるのだといいます。
また、もしも「不快」だと思ったら、きっぱりと断れば相手はすんなり引いてくれるものだと著者は記しています。
どうすることもできない事情があって引き受けたとしても、根底にある気持ちがしっかりとしていれば、ちゃんと感謝され、報われるものだというのです。
重要なのは、「不快」と感じたら「断る」ようにすること。そうしていると、いつか自分の感覚がわかってくるともいいます。
逆に、人の「快・不快」ばかりに注目しているのは、そもそも自分にとっては「不快」なことであるはず。
だとすればそれを続けることによって自分の感覚が麻痺し、「快・不快」で生きられなくなってしまってもおかしくないわけです。
だからこそ大切なのは、「不快なことはしない」と、思い切って断ってみること。
そうすることで人間らしさが戻り、心地よく人生を生きることができるようになるという考え方です。(49ページより)
「いい人」をやめたいのになかなかやめられなかったとしても、本書を通じて“仕組み”を知り、ちょっとしたコツをつかめば、「いつの間にか『いい人』を演じなくなった」と言えるようになると著者は断言しています。
「いい人」から脱却したいという思いを抱いている方は、参考にしてみてはいかがでしょうか?
Photo: 印南敦史
Source: 大和書房