それぞれが直面する「家族」のほころび
[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)
子どもを幼稚園に通わせ、妻が専業主婦という家庭は、今日本にどれくらいあるのだろう。こうした家族のかたちは急速に崩れつつある。もちろん、専業主婦が減り、幼稚園より保育園のニーズが高まっているということもあるが、そうした外形的なことよりも、新たな家族が築かれるときにその絆となるはずの「性愛」のかたちの多様化に、「家族」という旧来の制度がついていけていないのだ。本作は、この現実をまざまざと浮かび上がらせている。
娘同士が幼稚園で仲良しという二組の夫婦は、しかし片方では夫がそもそも性愛に関心を抱けない、いわゆるアセクシュアルであり、もう一組においては、妻の方が過去の経験から性に対してうっすらと嫌悪感を抱いている。しかしそれぞれの妻と夫は人一倍、性に貪欲である。
と言えば、ここから生じる展開があらかじめ予想されるかもしれない。たすき掛けのようにして惹かれ合う夫たちと妻たちを想像したなら、それは大筋において間違っていないが、しかし四者は、性に対する関心/無関心によってきれいに二分されているわけではない。四人はそれぞれ「性」に対して、「家族」に対して少しずつ異なる見解を持っている。その微妙な意見の違いをここで説明することはできない。むしろ各人がことの成り行きの中で自身のそうした思いに少しずつ目ざめていく様子こそがこの小説の読みどころである。彼らの思いに触れて、自分自身の内なるものに気づいてしまう読者もいるかもしれない。
しかし、漱石は百年以上も前に、結婚がなくなることを予想していた。性に限らず、個人があまりに個性を細分化させていくならば、他人と一緒に生活などできるはずがないというのだ。そしてこの作品を読む限り、今まさしくそのときが訪れようとしているように見える。われわれの愛情と、制度疲労を起こしつつある「家族」はどこへ行くのだろうか。