『小説 曲直瀬道三』
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脇役どまり乱世の名医に脚光 医学小説第一人者による大業
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
織田信長をはじめとして、豊臣秀吉、明智光秀の命を預かり、徳川家康に医術を授けたとされる乱世の名医曲直瀬道三(まなせどうさん)は、日本ではじめての医学校・啓迪院(けいてきいん)をひらき、門弟六百といわれたが、これまで、歴史小説の世界では、脇役、もしくは端役にとどまっていた。
しかし、その道三を主人公とした本格的歴史小説が登場することになった。医学小説の第一人者であり、歴史小説もよくものする山崎光夫にして、はじめて成せる業であろう。そして、この大部の一巻は、現時点における作者の一つの到達点といってもいい出来栄えを示している。
用意周到な作者のこと故、道三の少年期からその死までを綿密な資料調査によって描いているが、こちらも注意深く読んでいくと、本書のテーマがいかなるものかは比較的はじめのくだりから明らかになってくる。
それは、十三歳の道三が、相国寺(しょうこくじ)の塔頭の一つである、蔵集軒(ぞうしゅうけん)に修行に入る日のこと―作者は、それを永正十六年(一五一九)、八月十五日であったと記す。八月十五日とは、何という偶然、そして何という象徴的なことであろうか。時は応仁の乱の傷痕を残す頃。そして、相国寺の住職は道三にこう説く。いわく「争いに巻き込まれて苦しみ路頭に迷うのは、決まって善良な庶民たちだ」。いわく「争いのない時代が来るように、少しでも庶民が救われる世の中になるようおまえも力を尽くす必要がある」。そして、国手(こくしゅ)、すなわち、「国がかかえている病すら治してしまう医者」になれ、と説く。
作者は、前述の八月十五日という偶然と象徴の中に、道三を、戦国のみではない、現代までも続き、未だ収まることのない戦乱をも封じ込める一筋の光としてとらえたのではあるまいか。
それ故の迫力、それ故の感動―類稀な書き手によって道三は新たな生命をもたらされたのである。