文芸評論家が選ぶ、歴史小説の上半期ベスト級作品『傾城 徳川家康』ほか9作品

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  • 平成ストライク
  • 同潤会代官山アパートメント = Dojunkai Daikanyama Apartment
  • 夢見る帝国図書館
  • 金剛の塔
  • 悪の五輪

書籍情報:openBD

エンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

今年も半分が終わり、時の早さを感じるこの頃です。上半期のお気に入り作品は見つかりましたか? 末國さんが選ぶ、歴史小説の上半期ベスト級作品も登場します! ぜひお楽しみください。

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 新天皇の即位で元号が「平成」から「令和」に変わったが、その騒動も落ち着いてきた。改元を踏まえ「平成」を回顧、総括する本が相次いで出版されたが、ミステリのアンソロジー『平成ストライク』(南雲堂)もその一冊といえる。

 シングルマザーに育てられ二分の一成人式に批判的な小学生を語り手にした千澤のり子「半分オトナ」は、残酷で意外な結末に驚かされるだろう。新興宗教の教祖が殺され陰茎を切り取られた事件に、陰茎切断事件専門の探偵が挑む白井智之「ラビットボールの切断」は、アンソロジーのためかエログロ色は抑えぎみだが、ロジックの切れ味はいつも通り。消費税導入と税率アップにともなう騒動が事件解決の鍵になる乾くるみ「消費税狂騒曲」は、平成のミステリ史が概観できるのも面白い。井上夢人「炎上屋尊徳」と貫井徳郎「他人の不幸は蜜の味」はネット社会の闇を活写しているなど、「平成」デビューの九人の作家が、謎解きと社会的なテーマを融合させながら、それぞれの視点で「平成」を切り取っていた。

 関東大震災後に住宅供給を行った同潤会が、代官山に最新設備のアパートメントを建設した。ここを舞台にした三上延『同潤会代官山アパートメント』(新潮社)は、震災で妹を亡くし、妹の婚約者だった竹井光生と結婚した八重が代官山アパートメントで暮らし始めた一九二七年から、阪神淡路大震災後の一九九七年まで、四代にわたる歴史を連作形式で描いている。

 戦場で心に傷を負った杉岡俊平と八重の娘・恵子の恋、ビートルズに魅了された恵子の息子・進が経験したささやかな冒険、恵子のもう一人の息子・浩太の娘・千夏が巻き込まれたトラブルと勇気ある決断など、東京の街並みの変化と当時の世相を活写しながら物語が進むだけに、どれほど時代が移ろっても変わらない家族愛が際立って感じられる。

『ビブリア古書堂の事件手帖』の読者はミステリタッチの作品を期待するかもしれないが、本書は人情に重点が置かれている。ただ、子供時代の恵子に両親が贈るつもりで米びつに隠していたクリスマス・プレゼントが消える「恵みの露」に加え、前半のエピソードが後半で意味を持ってくる本書の緻密な構成そのものもミステリ好きなら満足できるはずだ。

 中島京子『夢見る帝国図書館』(文藝春秋)は、明治から現代に至る帝国図書館(国立国会図書館の前身。軸になるのは、現在は国会図書館の分館になっている上野の国際子ども図書館の庁舎)の歴史と、帝国図書館の小説を書こうとしている年の離れた二人の女性がからむ不思議な作品である。

 小説家を目指しているフリーライターの「わたし」は、子ども図書館の取材後に偶然出会った老女の喜和子に、上野の図書館の小説を書くことを勧められる。終戦直後、上野で二人の男性に育てられた喜和子は、リュックに入れられ図書館に潜入したことがあるという。喜和子の現実なのか夢なのか判然としない昔話が幻想小説的な雰囲気を醸すが、その真相を「わたし」が追い、喜和子の手紙にあった謎の文字を解読する暗号ものの要素もあるので、ミステリ的な楽しさもある。

 これと並行して、予算削減と戦乱に苦しめられながらも帝国図書館を発展させるために尽力した職員たち、樋口一葉、芥川龍之介、中條(宮本)百合子、林芙美子ら帝国図書館に通って名作を生み出した作家のエピソードを紹介する歴史小説色もある作中作「夢見る帝国図書館」が描かれていく。

 次第に明らかになる喜和子の過去と、近代日本の発展に帝国図書館が果たした役割の接点から見えてくるのは、“知”を武器に因習と戦い新しい時代を切り開いてきた人たちの姿なのだ。ここにはフェイクニュースや陰謀論など反知性主義が広がりを見せる現状への批判も見て取れる。

 聖徳太子と東京スカイツリーのストラップが時空を超えて狂言回しになる木下昌輝『金剛の塔』(徳間書店)は、技術者集団の金剛一族を軸に、卓越した技術を持つ権大工の息子と腕が劣る正大工の息子の確執と友情、跡取りながら放蕩を繰り返す男の意外な真意、仏教と建築技術を伝えるため日本にきた渡来人が直面した問題など、飛鳥時代から現代に至る五重塔の建設をめぐる物語を連作形式でたどっている。

 心柱を持つ五重塔は地震で倒壊したことがないが、その原理は十分に解明されていないという。心柱と同じ構造は東京スカイツリーにも使われているが、この技術を磨き後世に伝えてきた金剛一族の歴史は、なぜ日本のもの作りが優れているのかも教えてくれるのである。

 月村了衛『悪の五輪』(講談社)は、一九六四年の東京オリンピックの裏面史を描いている。主人公が映画マニアのヤクザなので、六〇年代の映画が好きなら特に楽しめるだろう。

 黒澤明が東京五輪の公式記録映画の監督を降りた。その後釜を三流監督の錦田にせよという難しい命令を受けた人見稀郎は、一歩間違えば命がなくなる危険な工作を進める。

 黒澤降板後、何人もが記録映画の監督の依頼を断った史実に、伝説のヤクザ・花形敬、デビュー直前の映画監督・若松孝二、右翼の大物・児玉誉士夫ら実在の人物とのエピソードをからめながら進むので、物語のリアリティは圧倒的である。

 手段を選ばず突き進む稀郎は、華やかなオリンピックの奥底に、莫大な利権をめぐって政財界の大物や、裏社会の人間も蠢めいている事実を浮かび上がらせていく。本書を読むと、来年のオリンピックも、今は見えていないだけでダークな一面を隠しているのではと考えずにはいられなくなる。

 織田信長が今川義元を倒した桶狭間の戦いは、偶発的な勝利とも、周到な計算だったともいわれ、これまで多くの作家が挑んだ歴史小説の激戦区である。斬新な解釈で桶狭間を描いた大塚卓嗣『傾城 徳川家康』(光文社)は、二〇一九年上半期の歴史小説ではベスト級といっても過言ではない。

 尾張の織田と駿河の今川に挟まれた小国三河に生まれた竹千代(後の徳川家康)は、織田の人質になり嫡男の信長に可愛がられるが、人質交換で今川に送られた。当主の義元は支配地域を文化力でも統制するため京から最高の知識人を招聘しており、竹千代も観世十郎から申楽を学ぶ。義元の前で申楽を披露した竹千代は、美貌が義元の嫡男・氏真の目にとまるが、すぐに引き離され義元に犯された。義元に怒りと憎しみを抱いた竹千代は、今川家を滅ぼす決意を固める。

 徒手空拳の竹千代が武器にするのが、観世十郎から贈られた秘伝書『風姿花伝』なのだ。家康の謀略を看破しそれを打ち破る計画を進める義元、衆道の関係にあった信長と前田利家、仕えるべき主君を探す木下藤吉郎らの思惑が、桶狭間に向けて収斂していく中盤以降の迫力とスピード感は圧巻だ。

 最新の学説を「解説」として挟み込む手法は、小説の叙述のあり方として賛否が分かれるだろうが、あまり注目されてこなかった文化と衆道を使い、まったく新しい物語を紡いだ本書は、戦国ものの可能性を広げた意味でも評価できる。

 安萬純一『滅びの掟 密室忍法帖』(南雲堂)は、山田風太郎〈忍法帖〉へのオマージュとなっている。

 甲賀忍者五人の暗殺を命じられた伊賀木挽の里は、塔七郎、半太夫、五郎兵衛、十佐、湯葉の五人の腕利きを送り込むが、その直後、半太夫の顔が切り取られ木に貼り付けられた。最も優れた忍びだった半太夫を倒したのは誰か? その頃、警戒厳重で外部からの侵入が難しい木挽の里では、忍びの修行をした村人が殺される連続殺人事件が発生していた。

 こうした不可能犯罪の解明だけでなく、忍びの一人は密室状態の小屋で敵を殺すのだが、そのトリックを見破れると戦闘が有利になるなど、ミステリと忍者バトルのリンクが見事である。奇怪な忍者殺しを通して現代の社会問題を浮き彫りにした本書は、活劇だけでなく、シニカルな日本人論を展開した風太郎〈忍法帖〉をテーマでも継承したといえる。

 詠坂雄二『君待秋ラは透きとおる』(KADOKAWA)は、鉄筋コンクリートを出現させる、二人に分裂するなど匿技と呼ばれる超能力を持った異能者同士のバトルもあれば、能力の特性や限界をフェアに提示した上での謎解きもあるSFミステリである。主人公の君待秋ラは触った物を透明にする能力を持つが、網膜を透明にすると何も見えなくなるので自分を透明人間化できない。透明人間を題材にしたSFは少なくないが、この視覚問題に着目したのは著者の慧眼といえる。匿技の科学考証だけでなく、匿技士をどの省庁が管轄し、どこまで個人の自由を許すのか、安全保障上の脅威になり得るのかといった社会学的な考証も、戦後史を問い直す形で行われており、細部まで考え抜かれた設定も秀逸だ。

 青柳碧人『悪魔のトリック』(祥伝社文庫)は、悪魔に授かった力で実行された殺人に、悪魔関係の事件が専門の刑事・九条と有馬が挑む連作集。悪魔が犯人に与えるのは、体重を自由に増減できる、強力な磁力を発生させるなど、殺人に役立つのか不明な力ばかり。そのため犯人は悪魔の力をどのように使い、どんなミスを犯したのかの二つの謎解きが満喫できる。悪魔が犯人の前に現れる場面から始まる作品が多いので犯行方法の追究がメインだが、思わぬ方法で犯人当てをする作品もあり、最後まで飽きさせない。

 早坂吝『殺人犯対殺人鬼』(光文社)は、孤島の児童養護施設を舞台にしているが、典型的なクローズド・サークルと思っていると足をすくわれるだろう。中一の網走一人は、五味朝美を自殺に追い込んだいじめっ子三人を殺そうとしていたが、主犯格の少年が金柑を目に詰め込まれた死体で発見される。嵐で孤立した島で、残るいじめっ子二人を自分の手で殺したい一人は、死体を装飾する連続猟奇殺人鬼が誰かを推理し始める。エロティックな要素を導入したバカミスを得意とする著者だが、今回はエロもバカも抑制されており、傑出した技巧が味わえる。前半から見え見えの伏線が張られているが、予想もしなかった処理がなされるので驚きも大きかった。

角川春樹事務所 ランティエ
2019年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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