『神奈川宿 雷屋』
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地図から見た景色
[レビュアー] 中島要(作家)
私は年季の入った方向音痴で、初めて行くところは地図があっても迷います。同行者がいるときはひたすら黙ってついていき、相手が迷ったときも決して文句は言いません。
学生時代、社会科の中で地理だけができませんでした。地名は覚えているのに、「地図上でその場所を選べ」という設問はすべて間違えてしまうのです。
そんな具合で地図は鬼門だったのですが、時代小説を書くようになってから、地図(切絵図)のありがたみを実感するようになりました。江戸時代と現代では、地形も地名も同じとは限りません。いつもは江戸の切絵図と東京の地図を見比べつつ、浮世絵なども参考にして当時の景色に思いを馳せています。
今回書き下ろした『神奈川宿 雷(いかずち)屋』は、私の地元である横浜と神奈川宿が舞台です。横浜には三十五年以上住んでいるので現代の土地勘は東京よりあるものの、百六十年前の土地勘はまったくありません。当時の地図を入手するため、私は横浜開港資料館に出かけました。
開港後の横浜は変化が激しかったはず。今回は文久(ぶんきゆう)二年(一八六二)の話なので、万延(まんえん)~文久元年(一八六〇~一八六一)頃の『御開港横濱之圖』と『東海道神奈川宿繪圖面』を参考にしました。
とはいえ、武家屋敷がびっしり書き込まれていた江戸と違い、横浜と神奈川の絵図は空白が目立ちます。私は頭を掻きむしりながら、にぎやかな横浜と神奈川宿の様子を想像することになりました。
そのせいで原稿の完成が遅れてしまったのですが、横浜開港百六十周年という節目の年に横浜を舞台にした作品を刊行することができて、かえってよかった――と都合よく考えています。お読みいただければ、幸いです。