手塚治虫も漫画で発散していたのかもしれない―――手塚プロダクション資料室の田中創さんに聞いた「1970年の手塚治虫」
[文] 立東舎
単行本での改変は「リアルタイムの読者に読ませたい」から
―――収録作品は単行本初収録の「地下壕」以外は「オリジナル版」となっていますが、これは雑誌連載時の形になるべく近づけているということですね。
田中 そうですね。手塚治虫は雑誌連載をそのまま単行本化することがあまり無くて、何かしら手を入れているんですね。だから雑誌に連載されていた形では、なかなかまとめて読むことができない。連載時の扉は単行本では使われていませんし、セリフや絵も細かく変更されている場合が多いです。『ダスト18』はその最たる例で、タイトルも『ダスト8』に変わってしまい、構成も大幅に改変されています。もはや別作品と言えるくらい、違っています。だから今回はオリジナル版を読んでみて、「なんだ面白いんじゃん」っていう感想も多かったです。『アラバスター』もそうですよね。設定自体が変わっていたりするので、オリジナル版で読むと印象はかなり違います。
―――手塚先生は、なぜそんなに改変をされていたのでしょうか?
田中 それは、過去の読者ではなくリアルタイムの読者に読ませたい、ということです。要はアップデートしていく、というか。分かりやすい例で言えば時事ネタやCMネタは、だいたい単行本では無くなっています。そういうことが、絵も含めたいろいろなレベルで行なわれているんです。
―――では単行本に扉絵を入れないというのは、どういう理由からですか?
田中 それは、読むリズムが削がれるからです。ストーリーもそうですが、そこでいったん区切られてしまうじゃないですか。だから改変に関しては、連載時にあった扉と「これまでのあらすじ」みたいな部分、あとは前後のつなぎなんかをカットすることで、否応なく必要になったという面もあります。各話をテンポよくスムーズにつなげるためには、直さないといけなかったということですね。でも存命中は、「扉絵集」みたいなものも嫌がっていたということを聞いています。
―――あくまで連載用で、後には残らないものという認識だったんですかね。
田中 そうだと思います。だから、人にあげたものも結構あるみたいですよ。特にカラーの扉原稿なんて、当時は二度と単行本では使わないという感覚でしたから、見学に来た子供にあげたりしていたらしいです(笑)。
―――ああ、それは見学したかった(笑)。一枚絵だから一番力が入っていそうなのに、実はそうではなかったということなんですね。でもオリジナル版では、そういった扉も堪能できるのがうれしいです。
田中 扉絵以外も同様ですが、原稿があるものはなるべくそれを生かして綺麗な仕上がりを目指しています。ただ改変に際しては原稿自体が切り貼りされている場合も多いので、そんな場合は掲載誌をスキャンするというハイブリッド方式で作っています。