『ある一生』
- 著者
- ローベルト・ゼーターラー [著]/浅井 晶子 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784105901585
- 発売日
- 2019/06/27
- 価格
- 1,870円(税込)
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ある一生 ローベルト・ゼーターラー著
[レビュアー] 池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
◆孤独な男の生涯 淡々と紡ぐ
訳者はタイトルで手こずったのではあるまいか。オリジナルは「ある」と「一生」のあいだに全体を強調する強い語が入っている。どう訳しかえてもピッタリこない。やむをえず、それは読者にゆだねることにした。正しい選択である。読み終わって、あらためて迫られて、はたしてこの一生を何と言えばいいのだろう?
ひどいものだった。父親は分からず、母を亡くしてアルプスの貧しい村につれてこられた。養親は冷酷で、さんざこき使い、何かあると、お仕置きをした。鞭(むち)が強すぎて少年は足を引きずる歩き方になった。手間仕事は何だってした。さもないと生きていけない。無口な逞(たくま)しい青年に育った。ある夏の夜のこと。牧草地に毛布を敷いて仰向(あおむ)けになり、星空を眺めた。そんなとき、主人公エッガーは自分の未来のことを考えた。なにひとつ期待していないからこそ、果てしなく遠くまで広がっている未来のことを。
エッガーに、その後いいことがあっただろうか。森林限界のすぐ下に、干し草小屋付きの小さな土地を借りた。食堂の女マリーへの求婚は一世一代のドラマだった。なにしろアルプスの山肌に火文字で伝えたのだから。
つかのまの幸せを雪崩が小屋と土地とマリーを埋めつくした。やがて村にも観光化の波が押し寄せる。谷にダイナマイトの轟音(ごうおん)がとどろいた。ヒトラーの戦争の末期、四十いくつで召集を受け、東部戦線で捕虜となり、ロシアの収容所へ送られ、八年を過ごした――。
作者はどのような解釈も加えず、一切を報告の手法で押しきった。報告文体特有のテンポがここちいい。同時に映画におけるモンタージュに似たイメージの重なりを巧みに利用した。七十九歳のエッガーは死の少し前、「概(おおむ)ね満足のいく人生」だと思った。「悔いなく振り返ることができた」。読者に深い感動が押し寄せる。あらゆる欲望装置のそろった現代にあって、すべて他人との比較でなりたつ社会にあって、このような孤独者の物語が成立するとは!
(浅井晶子訳、新潮クレスト・ブックス・1836円)
1966年、ウィーン生まれ。作家、脚本家、俳優。本書は37カ国で翻訳が決定。
◆もう1冊
池内紀編『ちいさな桃源郷-山の雑誌アルプ傑作選』(中公文庫)