『7月24日通り』
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あきらめたり、見ないふりをしたり。
[レビュアー] 南沙良(女優)
デビュー20周年を迎えた・作家吉田修一。絶えず新たなテーマに挑み、読者の予想を遥かに超えて展開する魅力的な作品群は、ときに笑と涙に心を放ち、ときに魂を揺さぶりながら、読者の人生を照らし出す。今回、全点新装版で登場した新潮文庫の吉田作品6作の中から、女優の南沙良さんが『7月24日通り』の魅力を語った。
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もしかしたら、自分の町に似た町がこの世界のどこかにあるのかもしれない。そう思うと、私が小さな頃からお世話になっているあのバス停も、なんだか新鮮だ。私は、リスボンではなくてこの町に行かなければ、と思った。
本屋で人と目が合って、焦ってスーパーの袋から落とすのが松茸のふりかけで、決してオレンジやリンゴを派手にこぼすのではない小百合の脇役感。そして、彼女が自分を守るために作り出した防壁の厚さが、あまりにも自分と重なってしまった。もうひとつ。自分だけが覚えているそんな苦々しさを、ふとした瞬間に思い出してしまう感覚も。
「人との付き合いに絶対的なレベルなんてあるのか」
お互いが完全に理解し合ってしまったら、自分の小さな器の中に相手を収めてしまうことになる。それはもう狂気の沙汰なのでは……!! なんて人付き合いの少ない私にはこんな想像で誤魔化すことしかできないけれど。
万人に好かれることをモテるというのであれば、私は多分モテない。モテたい、でもイヤな女になりたくない、と祈りながら毎日を過ごしている。それは承認を得たいのではなくて、かつて私をおいてけぼりにした人たちへ向けられた気持ちなのかもしれない、と、過去の栄光を捨てられない亜希子をみて、思った。
私にとって想像することは、大事な逃げ道だ。他人の気持ちを推し量ることなんてできないから。いつも逃げ道をちゃんと用意する私はズルい。小百合みたいだ。
「イケてる」とか「イケてない」とかいう、誰が決めたのでもないレッテルは、いつになっても払拭できない独特の感覚なのかもしれない。怖いな。
人には知られたくない核心がちりばめられていた。みんなそれぞれ格好悪くて、キレイに包まれている言葉を自分の気持ちなんだと勘違いして生きてきた小百合の核心は、まだ見えそうで見えない。音楽を聴くみたいに何度も読み返したい。
※【特集 吉田修一の20年】あきらめたり、見ないふりをしたり。――南 沙良(『7月24日通り』) 「波」2019年9月号より