『廃墟の白墨(はくぼく)』刊行記念 遠田潤子インタビュー

インタビュー

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廃墟の白墨

『廃墟の白墨』

著者
遠田潤子 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334913038
発売日
2019/09/19
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『廃墟の白墨(はくぼく)』刊行記念 遠田潤子インタビュー

[文] 光文社

 ミモザの父・閑に一通の封筒が届いた。中には白い線で描かれた薔薇の絵のモノクロ写真が一枚、裏には「四月二十日。零時。王国にて。」とあった。病床の父は写真に激しく動揺し、捨てろとミモザに命じる。その姿を見た彼は春の夜、余命短い父のために指定された明石ビルに向かう。廃墟と化したビルの最上階に三人の男たちがきていた。彼等は過去を語りはじめる。哀しい少女・白墨の王国だったこのビルの切なく凄まじい物語を──。

***


遠田潤子さん

――タイトルがとても変わっていて魅力的ですね。どういうところから思いつかれたのですか?

遠田潤子(以下遠田) この作品は、一番最初に、「廃墟のビルの最上階で男たちが深夜に集まっている。その前には黒板があって、一輪の薔薇が描かれている」というイメージがあったんです。タイトルはそれと同時に浮かんできました。だから考えてつけたタイトルじゃないんです。

――「白墨」は作品に登場する少女の名前ですが、最初からそのつもりだったんですか?

遠田 最初にタイトルがあって、そこからどんな話にしようか、と思った時に、「白墨」は、女性の名前だな、と。そこまではするっと出てきたんです。その後が時間がかかりましたけれど。

――今回は作品の構成が、これまでの遠田さんの作品と違いますね。ビルの最上階にいる男たちのところに、ミモザという青年がきて、男たちがミモザにそれぞれ過去をふり返って語る、という形が三度繰り返される事で物語を積み上げていく。新しい試みだと思いますが、それも最初から考えていらしたのですか。

遠田 最初、三人の男たちの語りの中から白墨という女性を浮かび上がらせる、という話にしたかったんですけれど、ミモザが出てきてしまったりとか、勝手に色々と展開してしまって(笑)。

――三人の男たちが待っている明石(あかし)ビルが「廃墟」ですね。廃墟のビルを舞台にしようというきっかけは?

遠田 もともと廃墟が好きなんです。いつかはそういう舞台でやってみたい、というのはずっと頭にありました。だから、冒頭のイメージは頭のどこかにあったのかもしれません。

――このビルは迷宮のようでもあるし、中庭があって回廊のように部屋があって、ある種の美しさがある建物だと思いますが、このイメージはどういうところから生まれたのですか。

遠田 わたし、中庭が大好きなんです。将来もし大金持ちになれたら、中庭のある家を建てたいと思うくらいに好きなんです。

――明石ビルは、ある意味理想の建物なんですね!

遠田 そうなんです(笑)。

――この物語はビルの中という、外の世界と隔絶された世界で進んでいきますよね。それは一種、ファンタジックな感じもします。外の世界では万博があったり、浅間山荘の事件があったりするんだけれど、住人たちは、それから切り離された日常を送っている。

遠田 中途半端はやめて、ビルの中だけで行こう、一晩限定で行こう、というしばりは最初に自分で作りました。

――現実の時間は一晩ですね。語られている過去の時間は五十年以上が経過しますが。ちょっと千夜一夜物語のようですね。

遠田 そうですね。そんなふうに読んでいただけたらいいのかもしれない。

――過去の語りの間にインターミッションが入りますね。これも今までなかったですね。

遠田 『風と共に去りぬ』とか『ベン・ハー』のような昔の長い映画では、途中にインターミッションといって音楽がちゃんと流れている休憩時間がありましたよね。あれが子供の時から好きで、小説でも一度やってみたかったんです。

――あれは、過去の語りの休憩時間みたいなものなんですか。

遠田 物語の中の「遊び」の部分だと思います。過去ばかり続くと息苦しいので、ふっと息抜きできるような。

――インターミッションの視点人物になっているミモザも、重要な役割を持っていますね。

遠田 最初の構想ではいなかった人物なんですけれど、そういうことになってしまいました(笑)。

――最初の構想では、白墨と三人の男たちで世界が閉じる予定だったんですか?

遠田 そうですね。そもそも白墨は登場しないで、男たちと黒板の薔薇だけで完結する話にしようかと思っていたんですけれど、それだけでは物語がうまく動かなかったんです。

――この物語は、ビルの中から白墨が外に出る事で、大きく動きますね。

遠田 思ってもいない方向に転がってしまった。白墨がビルから出て行く、というのもかなり後から思いついたんです。男たちを集めた人物も、最初は決まっていなかった。ミモザなど、重要な人物やその人間関係も書き直すたびに増えたり、変わったりしました。

――一九七〇年から物語を始めたのはなぜだったんですか?

遠田 下世話な話ですが、大阪の過去で皆さんがパッとイメージしやすいのがやっぱり大阪万博なんですよね。区切りもいいし、イメージしやすい。お若い方はわからないでしょうけど(笑)。知らない方でも太陽の塔といえばイメージしやすいんじゃないかな。その顔を真似した万博パンは、それだけでもとっかかりになるんじゃないか、と思って出したんです。

――万博パンはとても重要な小道具になりましたね、ひとの人生を変えるような。

遠田 パンも、親しみやすい素材じゃないかと思ったんです。白墨の日常生活での食事を考えた時に、明石はごはん炊いたりしない人ですから、男たちの誰かが差し入れするだろう、と。それで差し入れしやすいのがパンだったんです。自分がパン好きというのもありましたけど。けっきょく小道具などは自分の趣味ばっかりですね(笑)。


――白墨の母親で、「服を着ているのに半裸に見える」、そしてビルに住む男たちの誰とも寝ている、自分のものと他人のものの区別をしない奔放で強烈なキャラクターである明石はどこから?

遠田 この物語に関しては、最初の設定は、考えるのではなくて、頭に浮かんできたものなんです。明石というキャラクターとその名前も、白墨と同じように、ぽんと出てきましたとしかいいようがないんです。

――明石という名前は彼女にとても似合っていますね(笑)。源氏物語とは関係ないんですか?

遠田 あとで、源氏物語にいるな、と思ったんですが、私は大阪に住んでいるので、明石といったら地名がすぐに出てくるんです。

――ミモザは、明石ビルにいた男たちの中でひとりだけビルを出た男の息子ですが、彼はなぜミモザなんですか?

遠田 最初、ミモザという名前の女性を出すつもりだったんです。花の名前ですから。だけど、事情があって予定していた女性には使えなくなったので、三十男の名前にしてやろうと。

――合気道の師範である山崎和昭(やまざきかずあき)、本好きの左官の鵜川繁守(うかわしげもり)、売れないバンドマンの源田三郎(げんださぶろう)、そして四人目のキーパーソンで、パン職人の一番若い和久井閑(わくいかん)。職業もさまざまにバリエーションがありますね。個性的な四人の男たちで、名前もそれぞれ印象的ですね。

遠田 男たちは、普通の名前でなければダメだ、と思って考えました。

 山崎「和昭」、ひっくり返したら「昭和」ですよね。昭和を体現するような古い人間を出したい、と思って名前もそれをもじったんです。

 鵜川繁守は左官ですが、詩人ロルカが好きなインテリという設定なので、ちょっと捻った名前をつけたいと思って、すっと決まりました。

 源田三郎は、一応ミュージシャンなので、あまりお洒落じゃない、ミュージシャンらしくない名前をつけてやろう、と。他の源田さんに怒られそうですが。

――作中でも明石に「源田サブちゃん」とお洒落じゃない呼ばれ方をしていますね(笑)。

遠田 三郎といえば、私の年代だと北島三郎のイメージなので(笑)。

 和久井閑は「ひっそりとした美」を思ってつけました。強さと弱さの両方を持って、目立たず生きる市井の人のイメージです。

――登場人物で、書いていて一番楽しかったのは誰ですか?

遠田 もちろん、明石です。彼女の話ならなんぼでも書けます。

――書きにくかったのは?

遠田 白墨です。子どもの頃は喋らない、感情のないキャラクターですし、大人になってからもいろんな面で感情を抑えているので、難しかったです。

 白墨は、明石みたいになってはいけないと思いながら、やっぱり普通の生活はできなかったんですね、放浪しているということは。子供のこともきちんと育てたいと思っているんだけれど、できない苦しさがある。その気持ちはずっとあるから、辛い別れをすることになるんです。

――今回は「普通」が作中で繰り返し語られますね。

遠田 今までの作品だと、虐待や家庭内暴力などで、普通の家庭が壊れてしまう過程だったんですけれども、明石とか白墨は最初から普通の家庭ではないところから出発しているので、そこから普通を目指していく話ですね。明石はそもそも家庭とか家族というものが頭の中にない人です。

 明石ビル自体が一つの共同体ですよね。家族じゃなくて、共同体。たぶん明石はその中では、昔でいえばシャーマン、巫女(みこ)なんですよね。

――この物語の中で、登場人物たちは冷静に考えたら、その選択をしなくてもよいと思われる選択をして、その人生を生きてしまう。彼らの運命を感じるのですが、作品の中で「運命」「宿命」などという言葉はお使いになりませんね。特に今回は数奇な親子三代の話が出て来ますが。

遠田 書いている時に大上段に構える言葉はなかったんです。もっとこぢんまりとした感覚で、個人的なものの積み重ね、選択の間違い続きで登場人物たちの人生がここまで来てしまった、と。けれども、彼らはそれを後悔するのか、というと、たぶんそれは違う。

――作中だと、いちばん後悔するだろう人物は白墨ですけれど、彼女は後悔していない、後悔してはいけないと思っている人生ですよね。

遠田 「宿命」「運命」などといってしまうと、責任を外部に押しつけてしまうような感じがするんです。「運命だから仕方ない」とか。そういうのは嫌だったんです。三人の男たちは、何があっても自分たちで決めた事だ、と責任をとる。後悔がないわけじゃないけど、あの頃は楽しかった、と言うんでしょうね。

――男たちは「間違っていたのか」と思うとても重要な事があり、それに対してのこだわりは大きいですが、彼らは最後には救われたのでしょうか。

遠田 救われたのだ、と私は思っています。この一晩の出来事は男たちにとっては救済なのだと思います。

 この作品のテーマは、「惻隠(そくいん)の情」だと思っています。作中では山崎のセリフに出てきます。「慈悲」とか「慈愛」が近いのでしょうが、ちょっと違う感じがします。どんな凶悪な殺人者でも、井戸に落ちかかっている子供を見たら、あっ、と思って助けようとする。心の中から自然に出てくる感情で、けして上から目線のものではないですよね。

――その気持ちがあらわれることで、むしろ自分が救われるような……。

遠田 だから三人の男たちは、救われたんだと思います。読み終わってから、この言葉を思い出していただけたら、と思います。

***

遠田潤子(とおだ・じゅんこ)

1966年大阪府生まれ。2009年『月桃夜』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。12年『アンチェルの蝶』が第15回大藪春彦賞候補に。14年刊行の『雪の鉄樹』が16年に“本の雑誌が選ぶ文庫ベストテン第1位”に選ばれ、一気にブレイク。さらに17年に『冬雷』が「本の雑誌 2017年上半期エンターテインメント・ベスト10」第2位、第1回未来屋小説大賞、日本推理作家協会賞長編部門候補、『オブリヴィオン』が「本の雑誌 2017年度ノンジャンルのベスト10」第1位となった。他に『カラヴィンカ』『あの日のあなた』『蓮の数式』『ドライブインまほろば』など。

光文社 小説宝石
2019年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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