『黄金夜界』
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古典を現代に翻案してきた知の巨人の遺作 『黄金夜界』 橋本治
[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)
明治時代の大ベストセラー『金色夜叉』を下敷きに、あらためて「大切なのは愛かお金か」を問う『黄金夜界』。かつてのヒロインお宮こと鴫沢宮(しぎさわみや)はモデルのMIAこと鴫沢美也に変わったが、美也をはさんで三角関係になる東大生の間貫一やお金を積んで美也を奪うIT長者の富山唯継(とみやまただつぐ)など、主要な人物は名前も原作そのままだ。バブル前夜からのこの40年ほどの日本社会の世相と文化とを背景に、物語は原作をなぞって進む。
親公認の婚約者同士だった貫一と美也だが、富山が強引な求婚に出たことで、美也は貫一を捨てる。絶望した彼は裸一貫からのし上がっていく。鴫沢家を出た貫一がたどる数年は、日本社会の縮図のよう。ネットカフェ暮らし、派遣会社が仕切る日雇い労働、工場は雇用する側もされる側も生活が苦しい。そうした日々の中で貫一が味わうのは、辛酸を舐めた人たちの悲哀や温かさであり、出る杭は打たれるのリアルだ。
一方、美也の生き方も、現代の日本らしい幼稚な承認欲求に根ざしている。モデルとしての壁にぶち当たるや否や、結婚をすれば「変われるのではないか」「大人になりたい気持ちが満たされるのではないか」という安易な一発逆転思考はよく聞く話。
いよいよ独立に踏み出すしかなくなった貫一は、つなぎ融資を生業(なりわい)とする赤樫満枝に談判に行く。満枝も美也のように結婚で傾きかけた家を救った女だ。満枝は家の犠牲にさせられたが、美也は自分で望んでその身分を選んだところに、時代が現れている。
美也や貫一、富山、満枝らに共通するのは、時代をうまく泳ぎながらも、徹頭徹尾「虚無」だ。「大切なのは愛でもお金でもない」何かだということ。クライマックスでその一つの答えが明かされる。