[本の森 医療・介護]『氷獄』海堂尊/『小説ブラック・ジャック』瀬名秀明

レビュー

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氷獄

『氷獄』

著者
海堂, 尊
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041083321
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 医療・介護]『氷獄』海堂尊/『小説ブラック・ジャック』瀬名秀明

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 日高正義、法曹になるべくしてなったような名前の新米弁護士の彼が初めて担当した事件は、困難を極めるものだった。二年前、〈バチスタ・スキャンダル〉として世間を騒がせた心臓外科手術術中死事件である。なぜか被疑者は、国選弁護人を次々に拒否しているという。まるで生きることを放棄したかのようなその態度に、日高は逆に闘争心を掻き立てられる。

 海堂尊『氷獄』(KADOKAWA)は、四篇から成る作品集だ。最大の分量の表題作は、海堂のデビュー作『チーム・バチスタの栄光』(宝島社文庫)の後日譚である。二〇〇六年に発表された同作は、医療ミステリーという分野を切り拓いた里程標的作品であり、架空都市・桜宮を舞台にしたサーガの出発点にもなった。「氷獄」は医療小説と法廷小説の二つの顔を併せ持つ。事件を巡る論争は、この国が今直面している倫理観の揺れにも、ある展望を示すことになるはずだ。

 本書には『チーム・バチスタの栄光』で探偵役を務めた白鳥圭輔・田口公平コンビなど、懐かしい顔ぶれも登場する。巻頭の「双生」が『螺鈿迷宮』(角川文庫)の登場人物である桜宮小百合・すみれの東城大学研修生時代の話であるように、語られざる挿話によって過去作が裏側から補強されていくのだ。癌患者の終末期について議論が交わされる「黎明」など、読者に思惟を求める内容にもなっており、興味深い。

 もう一冊は、瀬名秀明『小説ブラック・ジャック』(エイプス・ノベルズ)である。原作はもちろん手塚治虫作品であり、神の如き腕を持つ医師の活躍が、コミックを彷彿とさせる筆致で描かれる。瀬名は藤子・F・不二雄原作の『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団』(小学館)という著書もある、ノヴェライゼーションの名手なのだ。

 五篇が収められており、「ピノコ手術する」は、ブラック・ジャックに移植用の皮膚を提供してくれた恩人・タカシにまつわる物語だ。題名からわかる通り、ブラック・ジャックにとっては唯一無二のパートナーであるピノコが存在感を示す話でもある。

 手塚治虫はスター・システムを採用し、創造したキャラクターを複数の作品に登場させていた。瀬名も同方式を踏襲し、多数の手塚作品からゲストを招聘している。各篇の最終ページに出演者のリストが掲載されているので、読後に答え合わせのように見ると楽しいだろう。

 ブラック・ジャック最大のライバルは患者に安楽死を提供するドクター・キリコだ。最終話の「三人目の幸福」には、自身の過去を清算しようとするブラック・ジャックの前に彼が登場する。そのことにより、医師にとっての使命は何かという倫理の問題が浮上するのである。原作のエッセンスを完全に咀嚼した、見事な幕引きであった。手塚ファン以外にもぜひお薦めしたい。

新潮社 小説新潮
2019年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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