万葉集にもあった「人妻」ブーム 日本最古の歌集はこんなにスゴかった

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えろまん : エロスでよみとく万葉集

『えろまん : エロスでよみとく万葉集』

著者
大塚, ひかり, 1961-
出版社
新潮社
ISBN
9784103350934
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

パンクロックで万葉集――大塚ひかり『エロスでよみとく万葉集 えろまん』

[レビュアー] 伏見憲明(作家)

 大塚ひかりは古典文学者のパンクロッカーである。敵は学術的な権威。この国に受け継がれてきたいにしえの文学を大仰に、恭しく、桐の箱に収めて我がものとする連中に、「てめえら、なに気取ってやがるんだ! ほんとの日本の古典の醍醐味はそんなことじゃねーんだよッ!!」と挑み続けて幾年月。今度は「令和」の命名とともに俄然注目を集めている「万葉集」を、まさにパンクに読み解いている。

 例えば、「天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設けな」という一見格調高い一首も、大塚が超訳するとこうなる。「天の川に向き合って立ち、私が恋し続けたあの方が来る。パンツを脱いで待っていよう」

 まるでフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」を皮肉たっぷりに歌い上げたシド・ヴィシャスのように胸のすく歌いっぷりではないか! ただ、セックス・ピストルズがオリジナルを借りてそれと正反対のメッセージを伝えようとしているのに対し、大塚は異なる言葉を用いることによって、元歌の意味やニュアンスの“ほんとう”を呼び起こそうとしている。今回の超訳はむしろ、高尚な芸術表現に祭り上げられた表現に、極めてシンプルな言葉を対置することで、権威主義の仮面を剥がそうとしているかのようだ。

 そして当然のことながら、こんな大胆な試みが許されるのは、大塚が長きにわたり研鑽を積み、ちくま文庫の『源氏物語』の現代語訳を任されるほどの実力を認められているからに相違ない。

 本書ばかりでなく、大塚が一貫して主張しているのは、「日本はエロいんだよ!!」ということに尽きる。この国の文化や天皇を中心とした政治の本質はまさにそこにあっただろうに、なぜかそのようには解釈されてこなかった。文化の核心に目が瞑られてきたのだ。

 しかし奈良時代、中国から律令制度を取り入れるときに、なぜ、同時に後宮へ宦官の制度が導入されなかったのか。宦官は王の血統を守るための監視システムだが、それがこの国では採用されていない。ユーラシア大陸の東の列島には、性を管理することが馴染まなかったからであろう。

 大塚はこの国の性のゆるさの理由を、子ダネよりも腹のほうを重視する母系的な社会だったことに求めている。「財産が父から息子へ継承される父系的な社会だと、我が子が本当に自分のタネかということが大きな問題となる。(略)だから女の性を厳しく取り締まる。ということは相手の男の性も厳しく取り締まることになる」。逆に、血統にこだわらなければ、社会はもっとエロくなる!

 本書『えろまん』で非常に興味深かったのは、「万葉集」には「人妻ブーム」がある、という指摘だった。大塚は「ひとづま」への思慕を綴った歌が多い理由を、「中国から律令制度が導入されたこと」に関係するとしている。それまで結婚している女性との性交渉をそれほどはいけないものだと思っていなかった日本人が、改めて律令によって禁じられたことで、かえってそこに「ひとづま」への欲望が膨らんだ、のだと。

 そのことに絡んで大塚はこんな歌を紹介する。「人妻と あぜかそを言はむ 然らばか 隣の衣を 借りて着なはも」(「人妻にあんで触れちゃなんねぇだべ? そんだら隣の着物を借りて着ないっちゅうべ?」)

 古典文学の門外漢にも、当時の日本人の感覚はこんなものだったのかもしれない、と思わせてくれるのは、大塚が紹介するように、性のゆるさ、多様な性愛のオンパレードを「万葉集」自体が教えてくれるからである。

 天皇のナンパ歌ではじまる構成からしても権威や権力を崇めようとする重々しさはなく、そこには老いらくの恋もあれば(巻第二・一二九「年取った婆さんなのに、こんなにも恋に沈むものなのか、幼子のように」)、現代の日本でも流行っているBL短歌もある(巻第十七・四〇一〇「私の恋しい家持さまがなでしこの花だったらなぁ。毎朝見るのに」)。大塚は、「当時の歌がまるでツイッターのつぶやきのようにカジュアルで身近」と指摘する。本来、歌というメディアが持っている機能を考えれば、それはいい得て妙なのかもしれない。

 本書『えろまん』を読んで、やはり年号を国書「万葉集」に求めたのは正解だったと思った。それは、出典を漢籍に求めたくなった為政者の気持ちとはいささか異なる愛国心。新しい御代が「万葉集」のごとく色っぽく、それを可能にする平和な時代であらんことを祈るからである。

 ※パンクロックで万葉集――伏見憲明 「波」2019年10月号より

新潮社 波
2019年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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