『わたしのいるところ』
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「孤独を食べて生きる」女の不思議な陶酔感が“シミる”…
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
孤独を食べて生きる女の物語だ。短い断章を重ねて書かれている。
四十五歳独身女性の「わたし」は孤独に目ざとい。「待合室で」では、クリニックで自分より二十歳ほど年上の婦人に、冷淡な目でじっと見られると、「わたし」の方も彼女には「ヘルパーも友だちも夫もいない」のを見てとり、しかし二十年後の自分もそうなっていると彼女に見抜かれているのではと気にする。観察合戦が怖い。
「トラットリアで」で個食する「わたし」は、イタリア女性版“孤独のグルメ”のよう。父と、父に懐かない少女の二人客に目を留める。父母の離婚後、少女は母についていったのだ。少しの妄想まじりに彼らの孤独を想い、「わたし」は少女と自分を重ねあわせる。美術館では、同年代の“お一人さま”の女性客がうっすら放つ不機嫌も見逃さない。
地元には、未練を残した元恋人が一人いる。「わたし」の女友だちと結婚し、二人の子持ちとなった「彼」と、ある日スーパーでばったり。「わたし」は彼が大量に買いこんだ品物を袋に詰め終えるまでなぜか待ち、徒歩で来ているのになぜか彼と一緒に地下駐車場まで行って、「送ろうか?」と彼に言わせる。
妙な観察癖は「道で」で最高潮に達する。信号待ちの人混みに口喧嘩中の男女を見つけると、用事をとりやめて後をつけていき、小さめの通りにまで入りこみ、聞き耳を立てて諍いの原因をつきとめ、満足する。
「わたし」は、空き家となった鳥小屋のあるお屋敷の庭を散歩したりもする。「孤独でいることがわたしの仕事になった」と、陶酔するのはなかなかシミる。作者の筆の毒や棘がやわらかめの小川洋子というか今村夏子というか。ともあれ、最後にはささやかな旅立ちがある。
ラヒリってそういう作風だっけ? と思う人もいるかもしれない。本作は作者が初めてイタリア語で書いた長編小説だ。ぜひご一読を。