『私は幽霊を見ない』
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“幽霊話”を片っ端からかき集め現実と虚構のあわいをたゆたう「私」
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
世の中には幽霊に異様な関心を持つ人と、まるで無関心の人がいる。前者はしょっちゅう「出た」とか「見た」とか言って騒ぎ、後者はそういう連中にうんざりする。
著者はどちらか。タイトルのとおり彼女は幽霊を見ない。でも「幽霊とはなにかという問いは長く頭の片隅にあって、薄く埃をかぶっている」。つまり、両者の中間に彼女はいるのだ。会う人ごとに幽霊体験を聞きだし、教えている大学の学生から奇妙な出来事を集め、友人に怖い話をねだるなどして、その問いを覆っている埃をゆっくりと払っていく。
幽霊話はパターンが決まっていて、画一的な傾向がある。学校の怪談などはいい例だが、彼女が語るのはもっと幅広い怪奇譚であり、著者と同じく「中間」の立ち位置にいる私はそこに惹かれた。
気に入った一つをご紹介すると、仕事帰りにスーパーに立ち寄り、バイクで帰ってきた著者の父の肩に、料理で使うお玉杓子が引っかかっていた。半円状にくりぬきのある変わったお玉だった。父はスーパーで知らぬまに引っかかったのだろうと思い、返しに行くが、その店で扱っている商品ではないと言われる。なら、どうしてそれが肩に? しかもそれは使用方法が不明な、非常に特殊なタイプのお玉なのだ。
怖くて可笑しい。起承転結のはっきりした怪談よりも、解けない謎だらけの世界の実相を浮き彫りにしている。
本書は「エッセイ集」となっているが、読んでいるときの感触は小説に近い。身辺の出来事を綴っているようでいて、対象とのあいだには距離がある。文中に登場する「私」を書きながら観察しているのだ。
フィクションなのか、本当にあったことなのかを確かめようがないのが怪談だが、現実と虚構のあわいをたゆたう「私」のありようはまさに怪談的であり、そこに著者の世界への対し方が出ていて魅力的だ。