嶽本野ばらロングインタビュー (聞き手=川本直)「恋と革命の美学」 嶽本野ばら著『純潔』(新潮社)刊行記念

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純潔

『純潔』

著者
嶽本 野ばら [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104660063
発売日
2019/07/29
価格
3,190円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

嶽本野ばらロングインタビュー (聞き手=川本直)「恋と革命の美学」 嶽本野ばら著『純潔』(新潮社)刊行記念

[文] 読書人

■第7回 時代とシンクロするオタクカルチャー

――『純潔』では舞台となる二〇一二年前後のオタクカルチャーについての膨大な言及がありますが、野ばらさんのオタクカルチャーに対する態度は、ゼロ年代のオタク批評とはかなり異質だと感じています。ゼロ年代のオタク批評は、アニメやゲームといった作品を素材にして論者の思想を述べるものだったと思います。ですが、野ばらさんには作品やオタクへの敬意と偏愛があり、言及されているアニメはゼロ年代の論者があまり肯定的に捉えていなかった日常系アニメや百合アニメで、現在の若者が熱心に観ているジャンルです。そういう意味でも『純潔』はゼロ年代のオタク批評を越えて、時代とシンクロしていると感じました。語り手の柊木殉一郎は『魔法少女まどか☆マギカ』(以降、まどマギ)のストラップを携帯につけていたことでアニメ研究会のガチヲタの先輩からサークルに勧誘されますが、まどマギは東日本大震災によって放映が中断され、それがちょうど大災厄が描かれているエピソードの渦中だったため、震災を象徴する作品として知られています。まどマギ最終話の主人公・鹿目まどかの自己犠牲が、『純潔』の柊木殉一郎の行動と響き合っているように感じたのですが、意識されていたのでしょうか。

嶽本 いや、意識はしていないですね。していないけれど好きで、まどかが決心してキュゥべえに啖呵を切るところは何回見ても泣いちゃうんです。まどかってずっとぼんやりした子だったんだけれど、あそこで急に腹を決めてカッコよくなる。
 やっぱりカッコいい女の子が好きで、オタクにはまって「萌え」という感情がわかってしまってから、そこに「萌え」が入ってきて少しブレちゃったのが、今ようやく自分の中でも克服して、やっぱりカッコいい女の子を書くのが自分の本分だと再認識したような感じです。

――野ばらさんはどういった経緯でオタク文化に興味をお持ちになったのでしょうか?

嶽本 あるとき気づいたらオタクがカッコよかったんです。二次元もそうだけれど、AKB48にはまりだした頃に、あの子たちはすごくユルいことをやっていて何の問題意識もなくてダラダラしていて、すごく狭い世界観で生きてる子たちなんだけれど、あの時代にはあれが僕にはカッコよく見えて憧れたんです。自分の性別が女子だったらオーディションを受けたいと思ったくらい、AKB48がカッコよかった(笑)。

――オタクは二次元のキャラクターを性的に見るだけではなく、二次元キャラそのものになりたいという願望を持った人もすごく多いと思うんです。私はトランスジェンダーに取材した本を出したのですが、二次元キャラに没入していくに従って男性が二次元の女性キャラそのものになりたい、可愛くなりたい、女の子になりたい、そのために女装を始める人が現実にいる。ですからオタクの欲望というのも一面的には捉えられない。

嶽本 もともとロリータって、ロリータ自体がオタクだったんです。強烈なお洋服オタクで、ある種の閉ざされた世界の中でそれを自分の命に代えてもゲットしなければいけないというような過剰なお洋服愛のある人たちがロリータだったので、スピリッツとしては同じだったのです。ただ、一九九〇年代頃からオタクという言葉に幅が出てきて、それまではアニメとか二次元が好きな人だけをオタクと言っていて、それ以外はマニアとかコレクターという言い方をしていたと思うんです。でもやっていることは同じだなということが九〇年代くらいには分かってきて、音楽マニア、映画マニアの人たちも自分たちのこと音楽オタク、映画オタクと言い始めた。八〇年代から九〇年代にかけて、クラブカルチャーが登場しましたが、大阪にマンションの一室で簡単な設備でやっているクラブがあったんです。そこが「Nerds(ナーズ)」というクラブでNerdsはオタクという意味なのですが、オタクを置き換える英語が無くて一番近いのがNerds、弱々しいスパイダーマンの主人公みたいな男の子のこと、日本の「オバケのQ太郎」のハカセ君みたいなコをそういう蔑称で呼んでいたようです。


『純潔』インタビュー風景(聞き手:川本直氏)

■第8回 現実がフィクションを追い抜いていく

――『新潮』に「純愛」を発表された当時、「寓話」と評されました。しかし、「純愛」発表の四ヶ月後、作中で描かれる学生の政治活動を彷彿とさせるSEALDsが結成され、一時の盛り上がりを経て二〇一六年に解散。同年、天皇明仁は譲位の意向を示し、今年二〇一九年、天皇を退位して上皇となりました。二〇一三年に成立したISILは日本にも影響を与え、シリアに渡航しようとした北大生も現れました。学生活動家といえば今年はYouTuberとして活動してアイドル的な人気があった中核派の洞口朋子が杉並区議会議員に当選したのも記憶に新しいと思います。「純愛」は正に予言的な小説で、描かれていたことがこの四年間に実際に起こってしまい、私も驚きました。
 そして、八月一三日には元東電社員による「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」(文春オンライン)という告発もありました。おまけに現在「あいちトリエンナーレ」への脅迫によって、左翼と右翼の衝突が起こっている最中です。日本と韓国の関係も悪化していますし、作中で何度も作品について言及される京都アニメーションを巡る不幸な事件も起きました。図らずも『純潔』に時代が追いついてしまい、「寓話」ではなく「リアル」な小説として読まれることとなると思うのですが、それについて野ばらさんはどのようにお考えですか?

嶽本 「純愛」を出した時点で、現実が追い付いちゃって抜かされたなという気がしていたのです。なんかカッコ悪いなと、作家的に。先程、新右翼の大松にシンパシーを感じると言ってくださいましたが、全然違うけれども、れいわ新選組の山本太郎にも似ているところがあると思ったりします。

――今回の『純潔』は具体的な政治家の固有名詞も一切出てきませんし、高度に抽象化された観念小説なので、時事的に消費される作品ではないと思いますが、今の時代の空気をどのように感じておられるでしょうか。

嶽本 今まで戦争中だったのが、戦争がいったん終わって終結に向かっていた感じはするのですが、そのまま戦争が終わるのではなくて、第一次世界大戦と第二次世界大戦の小休止、真ん中くらいの感じがして、ここからさらに大きいのが始まるという気がしてしまうんです。今まで実際にドンパチが起こっているわけじゃないから意識していなかった人たちも、実際に戦争を実感として感じるような状況になるような気がします。それは経済モデルも含めて、いろんなモデル、新旧の戦いみたいなのとかが、明確に目に見える形で具体化してくるのではないかなと。

■第9回 次回作の構想

――次回作についてお伺いしたいのですが、新潮社のインタビューで新作の構想をお話しされていました。差し支えない範囲でどのような物語なのか、お聞かせ願えますか?

嶽本 ざっくり言ってしまえば、誰にも知られていないサナトリウムみたいな精神病院があって、そこに主人公が住むことになって、なんだかんだという話なのですが、いろんなことを考えたり調べたりしていると、結局、「集合論」になって、さらに「記号論」に行き着いて、八〇年代に浅田彰の言っていたことなどが、今頃になってそういうことだったのかと理解できた。あの当時、「記号論」を語っていた学者の中でも「記号論」をよくわかっていなかった人もいて、浅田彰が凄いのは、彼はわかっていたことなんです。何人か編集者に読んでもらいましたが「記号論」は哲学ではなく数学の概念で、数学理論としての「集合論」からの「記号論」であるという部分が気に入らないらしく、書き直そうと思ったのですが、色川武大の『狂人日記』を読んでみたら、僕が考えていた話と構成が似ているんです。精神病院に入院する僕がいてそこの看護師とねんごろになって、その看護師も実は患者だったみたいな(笑)。文章もうまいし小説も面白いし、先に書いている人がいるならだめだなと思って、書き直そうと思っているんです。

――楽しみにしています。『純潔』は正に二〇一〇年代の総括と言っていい今日的な作品で、ようやく時代そのものが嶽本野ばらに追いついてきたという気がしています。今日は本当にありがとうございました。

 ***

<プロフィール>
★たけもと・のばら=作家。二〇〇〇年『ミシン』で小説家デビュー。『エミリー』と『ロリヰタ。』が三島由紀夫賞候補。『下妻物語』が映画化(中島哲也監督)され、好評を博した。著書に『シシリエンヌ』『タイマ』『傲慢な婚活』『落花生』など。一九六八年、京都府生まれ。

聞き手:川本直氏

週刊読書人
2019年9月13日号(第3306号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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