格闘 高樹のぶ子著 新潮社

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格闘

『格闘』

著者
髙樹 のぶ子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103516101
発売日
2019/07/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

格闘 高樹のぶ子著 新潮社

[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞社特別編集委員)

 出足払(であしはらい)、浮腰(うきごし)、双手刈(もろてがり)、腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)、裸絞(はだかじめ)、大内刈(おおうちがり)、袖釣込腰(そでつりこみごし)、金次郎返(きんじろうがえ)し。八つの柔道の技を章立てに鋭利な筆さばきで展開するこの小説を読みながら去来したのは、「生きる」とはあらゆる技を駆使して「闘う」ことだろう。しかし、いかなる技も効かないものがある。それは「愛」であり、時には神をも捨てる烈(はげ)しさを秘めたものなのではないかということである。

 私は柔道家羽良勝利、通称ハラショウをノンフィクション作品にすべく取材を始める。ハラショウは不思議な柔道家である。無名で勝ち上がり、全日本の体重別選手権で優勝。しかし、続く世界選手権では簡単に敗れた。変幻自在に試合に臨む不気味さ、繰り出す技の素早さで恐れられたが、優勝の翌年、姿を消した。

 ハラショウはさまざまな伝説と陰を持つ。犬の腹に噛(か)みついた。「乳の木」と呼ばれる寺の銀杏(いちょう)の大木を根元から伐(き)り倒した。それも「伐って欲しい、倒して欲しい、と毎晩声がする」という理由で。高校の柔道部顧問の松本鈞(きん)先生の肘関節を折った……。そして今一緒に住んでいる康子さんは松本先生の奥さんだった。

 ハラショウや康子さんに会い、高校まで過ごした港町を訪ねる。しかし、取材は次第に行き詰まってしまう。過去が謎めいているからではない。ハラショウの不思議な魅力に取り憑(つ)かれたからだ。こちらから躙(にじ)り寄ってしまうような「原始的な感情」に囚(とら)われたからだ。等辺とは言えない三角関係が生まれるのである。

 伝説は伝説である。秘密のベールは次第に剥がれる。ハラショウにとって「乳の木」は単なるご神木ではない。「柔道の精神」であり、自分を作ってくれた存在のすべてだった。それなのになぜ、柔道の神に永遠に顔向けができないことをしたのか。なぜ原罪となってその後の人生を規定したのか。実はそこに母も含めた女性の陰が色濃くあった。かくて作品は日の目を見ることなく筐底(きょうてい)に収められることになった。

読売新聞
2019年9月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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