秘境の山小屋は大忙し! やまとけいこ『黒部源流山小屋暮らし』

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黒部源流山小屋暮らし

『黒部源流山小屋暮らし』

著者
やまとけいこ [著]
出版社
山と渓谷社
ISBN
9784635330749
発売日
2019/03/16
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

秘境の山小屋は大忙し! やまとけいこ『黒部源流山小屋暮らし』

[レビュアー] 澤田真一(ノンフィクション作家)

 富山県、岐阜県、長野県の県境には、インターネットが使えない秘境がある。
 イラストレーターのやまとけいこ氏は、そんな北アルプスの秘境に夏の間だけ滞在する。黒部川の源流域にある山小屋「薬師沢小屋」で、その標高は1920m。

 都会にあるような娯楽施設などはもちろん存在せず、川と木々以外には何もなさそうだ。ところが、やまと氏の著書『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社刊)を読む限り、都市部の住人が迂闊に想像するよりも、遥かに賑やかで明るい生活が薬師沢小屋にはあるようだ。


黒部源流の山小屋「薬師沢小屋」までの道程(『黒部源流山小屋暮らし』より)

 夏季の黒部源流には、大勢の登山者がやって来る。
 登山者は数日間かけて山を歩くわけだが、そうなると当然ながら山小屋というものが必要になってくる。
 やまと氏は登山者向け宿泊施設のスタッフとして勤めているのだ。

 六月に入り、帰宅して玄関の扉を開けると、むしむしとした生ぬるい空気が部屋中に充満している。たいていこんな晩に出る。彼らは平べったい体とその身体能力で、人を驚かすのが好きなのだろうか。私は悲鳴をあげる。この季節初めのゴキブリが出ると、私はそろそろ山小屋に入る季節だったと、本格的に気がつく。荷造りを始めなくては。大嫌いなゴキブリのいない黒部源流へと旅立つのだ。(引用:『黒部源流山小屋暮らし』より)

 東京在住のやまと氏は、この直後から3ヶ月半の間「山の人」になる。このようなサイクルの生活を、もう12シーズン続けているそうだ。


クマがやって来た!(『黒部源流山小屋暮らし』より)

 黒部源流の山小屋には、ハイシーズンになると数千人もの登山者が訪れる。ここが人里離れた秘境だからといって、のんびりできるわけでもないらしい。

 小屋明けの一番の心配事は、まずは無事に小屋が建っているかで、次に動物の被害。動物が入って食料を荒らしていないか。前年に残った米や乾物などの食料は、最初の物資輸送ヘリコプターが飛ぶまでの大切な食料なのだ。たいていはネズミやテンに少々やられているが、少々じゃなくて、ひと冬過ごしたのかというくらいに荒らされていると、げんなりする。まあ仕方ない。(引用:『黒部源流山小屋暮らし』より)

 もっとも、テンならまだいいかもしれない。時にはクマがやって来る。さすがにクマが相手だと命懸けだ。登山者に渡すはずの弁当15人分がやられてしまったということもあったそうだ。


てんてこ舞いのハイシーズン(『黒部源流山小屋暮らし』より)

 薬師沢小屋の繁盛期は、7月の「海の日連休」から。
 この時期から登山口に止まるバスが運行されるので、同時に大勢の登山者が小屋にも押し寄せる。

 無論、天候に左右される話だが、多いときには薬師沢小屋で、八十人から百人近い登山者が押し寄せる。(中略)やがて小屋番は受付に張り付けになる。トイレに立つ暇もなくなるから、一切の水分を立つ。十五時には行列ができて、厨房の私と新人アルバイトも戦闘態勢に入る。食堂は一回に四十人でいっぱいになるので、食事は一回戦、二回戦、三回戦、と時間で区切る。まるで戦いのような言い回しだ。(引用:『黒部源流山小屋暮らし』より)

 これでは、忘年会シーズンの居酒屋と変わらない忙しさだ。しかも上記は、あくまでも配膳作業だけを描写した文章だ。皿洗いや次の食事の仕込みもある上、仕事は食堂のみに留まらない。登山者が就寝する大部屋やトイレの掃除も忘れてはいけない。売店での接客も必要だ。
平日になれば登山者の数も若干落ち着くが、このようなてんてこ舞いのハイシーズンはお盆明けまで続く。

 それでも山小屋での仕事を選ぶのは、どうやら独特の充実感を得ることができるらしい。

 朝のトイレの長蛇の列や、鳴りやまない呼び鈴、不平不満の対応だって、ハイシーズンらしくて思わず苦笑い。それでも朝、お世話になりました、と楽しそうに出発されるお客さんの顔を見ると、やっぱりよかったなと思う。(引用:『黒部源流山小屋暮らし』より)

 この一文に、やまと氏が毎年黒部の秘境を目指す理由が込められていると筆者は感じる。
つまり、この人物は根っからの「山の子」なのだ。

山と溪谷社
2019年11月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

山と溪谷社

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