父が自分の腕に血で刻んだトルコ国旗
[レビュアー] 綿野恵太(批評家)
パキスタン系移民2世の俳優リズ・アーメッドは、人種的ステレオタイプとは無縁の「ただの男」を演じるためにハリウッドに渡った。しかし、さまざまな人種に配慮されたアメリカのフィクションもまた「神話」でしかないことを冷静に見抜いていた。
「活気あふれる多文化主義が英国の現実だが、私たちが輸出している神話は、「ローズ・アンド・レイディーズ」の白人しかいない世界なのである。反対に、アメリカ社会は非常に分断されているが、共に協力し合いながら犯罪を解決し、異星人と戦う人種の坩堝という神話を輸出しているのだ」
多文化主義は好ましい虚構であっても、社会の理想を投影するファンタジーが描かれるばかりであって、それが最低の意味での虚構であることを彼は気づいている。しかし、それでもなお、アメリカでしか「ただの男」を演じられないことに彼の困難がある。英国EU離脱を背景に移民の家庭に生まれた作家、ジャーナリスト、アーティストら21人がみずからの言葉を綴った本書は、虚構であることから遠く離れている。
とりわけ印象に残ったのは、トルコ系キプロス人の移民2世のシメーヌ・スレイマンの文章「私の名前は私の名前」だ。キプロス紛争で拷問の末虐殺された祖父と、13歳で少年兵として戦った父を持つ彼女の文章には次のような一節がある。
「伝統は、私たちのコミュニティ、―土地や故郷をアイデンティティの拠り所にできない者たち―が不可避的に持つ特徴なのだ。私たちの親たち、その親たち、そのまた親たちは、名前以外に、言語以外に、私たちに残せるものをほとんど何も持たなかった。私たちは、コミュニティが残そうとした知識を継承してきたのだ。故郷に帰ることができない―あるいは、再びそれを奪われることになると待ち構えている―場合には、どこか別のところに故郷を再創造するすべを会得しなければならない」
いくら「市民」であったとしても、みずからのアイデンティティから自由になることはできない。マジョリティがみずからのアイデンティティに拘泥しないのは、それを忘れる特権を持つからである。しかし、マイノリティはステレオタイプや偏見に侵されるばかりでなく、いかにしてみずからのアイデンティティを引き受け、つくりあげるか、をそれぞれの生のなかで意識的に実践せねばならない。
スレイマンの肌には「祖母が別れる時によく使った祈りの言葉」「オスマン帝国のスレイマン大帝が使用した署名」「父が自分の腕に血で刻んだトルコ国旗」がタトゥーとして彫られている。スレイマンのタトゥーが示すのは、彼女の父母祖父母らが受けた傷を、みずからの傷として引き受け、その傷をあらたに文字として生き直すことにほかならない。たしかに社会的な成功ゆえに言葉を発信できるといえようが、しかし、彼ら/彼女らが綴る文字は複数の傷とそれを生き直す術を伝えている。