[本の森 恋愛・青春]『プルースト効果の実験と結果』佐々木愛/『某』川上弘美

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プルースト効果の実験と結果

『プルースト効果の実験と結果』

著者
佐々木, 愛, 1986-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784163910901
価格
1,485円(税込)

書籍情報:openBD

某

『某』

著者
川上弘美 [著]
出版社
幻冬舎
ISBN
9784344035041
発売日
2019/09/12
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 恋愛・青春]『プルースト効果の実験と結果』佐々木愛/『某』川上弘美

[レビュアー] 高頭佐和子(書店員・丸善丸の内本店勤務)

 佐々木愛氏『プルースト効果の実験と結果』(文藝春秋)は、オール讀物新人賞受賞作品を含む短編小説集だ。4編中3編は、地方都市に住む高校生の女の子が主人公である。小さなエピソードが丁寧に積み重ねられ、恋人や親しい友人と人生のごく短い期間だけ共有できる大切なものが、繊細に描かれている。奇をてらうようなところは一つもない直球の恋愛小説だが、心理描写に確かな個性がある。純粋なきらめきのようなものに、心を掴まれた。

 「プルースト効果」とは、特定の味や香りから記憶がよみがえる現象のことである。小説「失われた時を求めて」の中で、主人公が紅茶にマドレーヌを浸した香りで幼少期を思い出すことから名付けられた。主人公は、自分と同じように東京の大学を目指している男子・小川さんから、この言葉を教えてもらう。小川さんは、勉強の前に「たけのこの里」を食べる。入試本番直前にも口にすれば「記憶の中に沈殿させた英単語とか中国の歴代王朝とか」が思い出せるのではないかと言う。主人公も、「きのこの山」でその実験に参加することにし、二人の距離は縮まっていく。

 放課後の図書室。「きのこの山」と「たけのこの里」が混ざった味。東京の空気が入った小さなガラス瓶。一緒に丸をつけた都会の地図。二人だけの特別なものだったはずのそれらが、そうでなくなってしまう時がやってくる。主人公の見ている風景と、遠いところにある自分の記憶とが混ざり合って、忘れていた感情がじわじわとよみがえってきた。あのお菓子を食べるたびに、この読後感を思い出してしまいそうだ。

 川上弘美氏『某』(幻冬舎)は、今までに読んだ中でも、トップレベルに奇妙で刺激的な小説である。主人公は、名前も過去の記憶もなく性別も年齢も不明の存在だ。ある日病院の受付に出現し、医師の指導のもと自分のアイデンティティを確立していくことになる。「丹羽ハルカ」という名前の16歳の女性となることに決めた主人公は、趣味や出身地を決め、病院で暮らしながら高校に通うことになる。週末に一緒に出かける同級生もでき、「丹羽ハルカ」に慣れたところで、その記憶を持ったまま性欲の強い男子高校生となり、次は高校の事務員となり……。徐々に自我が芽生えてきた主人公は、病院から自立する決意をし、キャバクラで働く「マリ」として、知り合った男の家で暮らすことになる。

 主人公は次々に変化しつつ、共に時間を過ごした人との別れや自分と同じ種類の仲間たちとの出会いを経験して、他者との関係の作り方や、様々な感情を身につけていく。人間であるとはどういうことなのか。自分らしさとは何か。誰かを大切に思い、愛するのはなぜなのか。小説が問いかけてくるものに、答えを返せないことに動揺している。私はいったい何者なのだろうか?

新潮社 小説新潮
2019年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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