[本の森 SF・ファンタジー]『幸福な星』仲野芳恵

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幸福な星

『幸福な星』

著者
仲野, 芳恵, 1979-
出版社
日本経済新聞出版社
ISBN
9784532171537
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 SF・ファンタジー]『幸福な星』仲野芳恵

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 虚ろな、それでいてもの問う眼をしている女性が描かれた表紙をめくると、そこにあるのは〈今まさに消滅しようとしている国〉の物語だ。『幸福な星』(日本経済新聞出版社)の著者仲野芳恵は、北海道の公立中の教諭。日経小説大賞への応募がきっかけで、今作でデビューした。

 記憶力を増大させるチップを頭に埋め込まれた九十九%以上の「非ナチュラル」と、手術に適さないと判断された一%弱の「ナチュラル」。幼少時に選別され、知的、経済的階層が明らかに存在するこの国の民の証言を、文化人類学者のキャスリン・ハワードが収集する。かつて世界有数の繁栄を誇ったにもかかわらず、資源の枯渇と人口減少により終末が目前に迫っている国の様相を、キャスリンはナチュラル、非ナチュラルへのインタビューによって、詳細に記録しようと試みる。

〈とりわけ私に強い印象を残した〉人物として彼女が回想するのが、ナチュラルの女性・キカだ。キカは同じくナチュラルのメイとともに、廃墟のようなエリアに住んでいる。葬儀場でピアノを弾くキカと、体を売って収入を得るメイは、つましくささやかな生活を大切に営んでいたが、「持たざる者」である二人の、自分たちの聖域を守り続ける日々は長くは続かない。

 小説は一人称と三人称を交互に配置し、キャスリンのレポートを挟みながらキカとメイの暮らしを描いていく。〈勇敢さや、大胆さや、やさしさ〉〈自分の体ひとつを使って生き抜いていこうとする覚悟〉を持っているメイに存分に救われているのに、心の鎧を外すことのできないキカ。彼女と愛し愛される関係を願う非ナチュラルの男性・ミト。孤独を深めるキカの懊悩がキャスリンのインタビューによってほどかれていく過程で、普遍的で根源的なある問いが読者の眼前に提示される。〈生きることは惰性に見えても、膨大なエネルギーを必要とする行為〉だとキャスリンが口にすることによって想起される問い。それに対するキカの答えは、彼女が奪われ続けてきたものを思わせて痛切だ。

〈自分の人生を、自分の責任において果たそうとしているから、あなたはとても美しい〉

 キャスリンのその言葉をきっかけに、キカはおずおずと己の内面の核心に迫っていく。二人のやりとりが静かに醸し出すシンパシーの交錯は忘れがたい。

 それにしても、分断と荒廃がもたらす絶望が蔓延している某国を、架空の国だと思えないのがなんとも苦しい。今自分がいる場所と時間の先に、このような現実があるかもしれないと想像しないでいられたら幸せだと思ってしまう。「ただの」「ディストピアの」お話だと消費することができない。これはそんな恐ろしい作品でもある。

新潮社 小説新潮
2019年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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