『いもうと』
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【赤川次郎『いもうと』刊行記念対談】赤川次郎×井上芳雄/物語は余白の中にある
[文] 新潮社
赤川次郎さんの名作『ふたり』の続編『いもうと』が誕生。
その刊行を記念して、赤川作品で読書に目覚めたという俳優の井上芳雄さんが、赤川次郎さんと対談した。赤川さんに「創作の裏側」や「作家の流儀」について伺いながら、井上さん自身も俳優としての苦労やポリシーを明かした。
赤川作品が読書の扉だった
井上 僕は先生のおかげで本を読むようになったと言っても過言ではないんです。うちの両親はすごく本を読む人たちで家の中は本だらけだったんですが、その反動で僕は読書をしない子どもでした。ところが中学生の時、父の研究のため家族そろってアメリカのノースカロライナに一年間滞在することになり、日本語に飢えた状態で親の持っている本を読み始めた。それが赤川さんの小説でした。登場人物たちが巻き込まれる意外な展開の連続に夢中になり、初めて「あれ、本って面白いんじゃない?」と思えた。それで半年に一度くらいしか行けないニューヨークの紀伊國屋書店で先生の本をあるだけ買い集めたりしました。
赤川 それは嬉しいお話です。僕の読者は小学生からいるんですが、井上さんみたいに僕の本を読書の入口にしてもらえたらいいなと思っているんですよ。
井上 今は『いもうと』を読んでいるところです。主人公の実加の出会う相手が良い人なのか悪い人なのか分からないままに関係が深まり、話も緩急自在に展開するので先が気になっています。『いもうと』は三十年ぶりに書かれた『ふたり』の続編とのことですが、三十年ぶりでも問題なく書けるものですか。
赤川 それは大丈夫でしたね。主人公の実加は僕自身に近いんです。何をやってもぶきっちょで、引っ込み思案で、人前で披露できる特技もない。僕にとって親しみのある主人公なので割とスムーズに筆が進みました。ただ、『ふたり』で十六歳だった実加の十一年後を描いているわけですが、現実世界では三十年の歳月が流れているので、以前はなかったパソコンや携帯電話が登場するという違いはありますけれど。
井上 実加の描写が実にリアルですが、どうして十代、二十代の女性を自然に描けるんですか。
赤川 すべて自分の想像です。よく「どうやって若い子に取材するんですか」と聞かれますが、僕が女子高生に「ちょっと話聞かせて」なんて声を掛けたら通報されてしまう(笑)。それに取材したとしても彼女たちが自分の父親より年上の男に本音を話すとは思えません。だから自分が十代の頃はどうだったかを思い出しながら書いています。時代が変わっても人間はさほど変わりませんから。
井上 ああ、なるほど。今は年間に何冊くらい出されているんですか。
赤川 せいぜい十冊ほどですね。昔は二十四冊なんてこともありましたけれど。
井上 月に二冊ですか!
赤川 最近はさすがに頑張りがきかなくなりました。でも作家は「できない時はできない!」と開き直って締め切りを延ばせますが、俳優さんは何が何でも舞台に出なきゃならない。大変なお仕事ですね。
井上 たしかに役者にとっては体力、それに記憶力の問題はシビアです。
赤川 井上さんは今まさにその二つがベストに組み合わさったところで活躍なさっている。公演中の「組曲虐殺」を拝見しましたが、井上さんの演じた小林多喜二、とても素晴らしかった。
井上 ありがとうございます。十年前の初演から演じているんですが、恥ずかしながら最初は「プロレタリア作家って何?」「右翼と左翼の違いって?」と分からないことだらけで……。
赤川 プロレタリア作家なんて、もうほとんど歴史上の存在ですからね。
井上 初演時の僕は三十歳で、多喜二が亡くなったのが二十九歳。多喜二との共通点は年齢だけでしたが、今回、四十歳になって演じたことで多喜二と精神年齢が近くなり、芝居の捉え方も変化しました。多喜二のことを知れば知るほど共感が増しますし、何回演じても涙が出ます。
赤川 テロリストだったわけでも爆弾を作っていたわけでもない、ただ信じたことを書いただけなのに若くして警察に殺されるとは本当に悲惨な生涯ですよね。彼と同時代に生きていた作家たちはものすごい恐怖を覚えたはずです。
井上 赤川先生も多喜二のように、書くことに対する覚悟や責任を感じていらっしゃいますか。
赤川 そうですね。井上ひさしさんが十年前に「組曲虐殺」を書いたのは、日本がおかしくなってきているという実感があったからでしょう。井上さん亡きあと、同じ作家としてその役目を引き継いでいくべきだと思っています。