中江有里が、赤川次郎の名作『ふたり』の続編を読む 「正直、こんな展開は全く想像していなかった」

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いもうと

『いもうと』

著者
赤川 次郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103381396
発売日
2019/10/18
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

日常というリズムを刻む壮大な物語

[レビュアー] 中江有里(女優・作家)


中江有里さん

 十代で読んだ作品は、どれも私の血肉になっているが、中でも『ふたり』はさらに深いところに沁みわたっている。主人公の姉妹とほぼ同世代で重ね合わせるところが多かったのもあるが、大林宣彦監督によって映画化された『ふたり』に出演したのも大きい。赤川作品の愛読者だった自分がいきなり、物語世界へと紛れ込んだ感慨があった。

 厳密に言えば小説と映画はよく似てはいるが違う。言うなれば同じ親から生まれた姉妹のようなものかもしれない。

 あれから三十年の時を経て、映画『ふたり』の時空はそのまま止まっているが、小説『ふたり』の時は動き出し『いもうと』が誕生した。前作で十六歳だった北尾実加は、本作で二十七歳の会社員となっている。姉千津子に続き、母も亡くし、別の女性との間に子を成した父とは絶縁。早い自立を目指して、高校卒業後に就職した実加は天涯孤独になっていた……正直、こんな展開は全く想像していなかった。

 前作と決定的に違うのは、ファンタジー要素がないところだ。姉の声は、実加が自覚してみる夢の中で聞こえてくる。それは実加が望んだ姉の姿だろう。

 本作がリアリティに迫る場面は多々あるが、中でも印象的なのは親には言えない姉妹の性体験がさらりと語られるところかもしれない。友達同士でも踏み込みにくい話題がいきなり挟み込まれてドギマギとしてしまった。『ふたり』が刊行された三十年前の私なら捉え方がわからなかったかもしれない。年を重ねた有難さで、今はその意味を正視できる。

 性体験の有無、その内実などが明かされ、読者が知らなかった千津子と実加の実像に私はある共感を覚えた。小説内であっても清く正しく美しく生きられるわけじゃない。守る者をなくした実加は、傷つきながら大人としての経験を重ねていたのだ。

 高校時代の盟友・長谷部真子も結婚生活に破れ、同居する後輩・川辺さつきは道ならぬ恋を突き進もうとする。同じような青春を過ごした友たちも人生の苦さをかみしめている。かつての『ふたり』の読者たちもおそらく同様に。

 生きていれば傷つき、関係すれば摩擦を起こす……無茶な仕事を押し付けられ、思いを寄せる人には妻がいる。八方ふさがりに思える実加だが、その生活は実直なものだ。

 これは赤川作品の特徴と言えるかもしれないが、登場人物たちにきちんとした生活感があるのだ。実加はお風呂のお湯をためる時間に気を使い、料理ベタだけど食事もきちんとバランスを考えて取る。描いていない家事もきちんとこなしているのが想像できる。実加の生活ぶりは現実に起きている想像外の出来事から頭をクールダウンさせてくれる。さしずめ生活を刻むリズムを奏でるように。

 どんなに苦しいことや悲しいことがあっても、リズムは止まない。父の病気、そして初めて会う妹の存在。精神的負担が大きい日常の中で、正確に刻むリズムが救いとなり、どんな現実も日常の一部になって流れていくのだ。そして実加は十六歳の時には許せなかった人たちを受け入れ、ついには自らが千津子と同じく姉の立場であると自覚し、幼い妹を守りたい心境へと変わっていく。

 守られる者から守る者へと変化していく実加の成長を眺めながら、ふと自分はどうだろうか、と振り返った。

 許せなかったこと、失敗したこと、誰かを傷つけたこと……そのものが生きるということだと気づいた。それならば自分もまた人を許し、失敗した人を慰め、たとえ傷つけられてもやはり相手を許さなくてはならない。人とのかかわりはその繰り返しの中にしか築けないのだから。

 本作のラスト一行に出合った時、赤川さんはこのために三十年の時を超えて続編を書いてくれたのかもしれない、と思った。

 その一行を体感した喜びをかみしめている。

 ※日常というリズムを刻む壮大な物語――中江有里 「波」2019年11月号より

新潮社 波
2019年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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