『いま、なぜ魯迅か』
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<東北の本棚>批判と抵抗 文豪に学ぶ
[レビュアー] 河北新報
官僚国家・企業国家ニッポン、上司の意向を先取りする忖度(そんたく)が大はやりだ。この国に今、何が必要なのか。近代中国の文豪からこそ「批判と抵抗の哲学を学べ」と著者は訴える。
「一九〇四年秋、仙台」で、本文は始まる。魯迅が仙台医学専門学校(現東北大医学部)に入学したのが1904年9月だった。同じ時期、鶴岡市出身の軍人、石原莞爾が仙台陸軍幼年学校に在籍していた。「中国への侵略を進める日本の象徴的人物となる石原と、侵略される側の抵抗の原基(=芽の意味)ともいうべき魯迅が仙台で交差していた」と記す。魯迅は同胞の屈辱的な姿が写し出された幻灯を見る、いわゆる「幻灯事件」を機に中国人の精神の改造こそ必要だと考え、作家の道を選ぶ。石原は、後に中国に渡り、満州国独立、王道楽土の建設を夢見るが、理想はあまりに現実と乖離(かいり)していた。
魯迅は、徹底して儒教に抵抗した。真ん中を行く「中庸」では、世の中は変えられない。「親孝行」は、人間として当然のことなのか。道徳は、上からの押し付けでは強制になる。
魯迅は東京留学中、夏目漱石の旧居に住んだことがある。「吾輩は猫である」を愛読。「漱石の諧謔(かいぎゃく)性に共感したのではないか」と言う。自衛隊で割腹自殺した三島由紀夫とは「死」の思想について決定的に対立する。死を潔いとするのはエリートの思想。「泥まみれになっても生きてやる」のが魯迅だ。
魯迅の思想を実践したのが、むのたけじだという。太平洋戦争が終わった日、戦争責任を感じて辞表を出した新聞記者。郷里の横手市に帰り以来30年間、「たいまつ」新聞を出す。「批判のないところに進歩はない」「生活の底から湧き上がった願いが、本物の思想と呼べるものではないか」。学生時代、むのの著作を読んで自らが青春読書ノートに書きつづった言葉だ。
1945年、酒田市生まれ。辛口評論家としてテレビ界、雑誌界で活躍中。
集英社03(3230)6393=880円。