「芥川賞」に照準を定めた新人の意欲作が揃った「群像」と「すばる」

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「芥川賞」が念頭か 新人の技巧的作品が揃った『群像』と『すばる』

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


群像2019年10月号

 今回の対象は文芸誌十月号。小説の数は多くないものの、前号に引き続き、新人の意欲的な(すなわち芥川賞に照準を定めていると思われる)作が並んだ。技巧的ながら、主題追求のための技巧である点に共通性が認められる。

 倉数茂「百の剣」(群像)は、真希という女の物語だ。真希は何か大きな事件で世間を騒がせたことがあり、現在は消息不明である。ネットに残っていた真希の手記を読んだことで彼女に執着を覚えた語り手は、彼女の興味をなぞり、彼女の知人に会い、彼女の家を訪ね、「痕跡を集めて」実像に近づこうとする。小説は、語り手による地の文と、真希の手記が交互に現れる構成を採るが、語り手の正体はついに明らかにならない。ところが最後、真希の事件の真相に近づいたとき、語り手と真希の「わたし」が一致する瞬間が訪れる。主題はざっくり言えばフェミニズムで、語り手の匿名性が、憑依あるいは同一化のためのブランクスレート(空白の石版)として機能している。

 太田靖久「アフロディーテの足」(群像)の主人公は「神様」である。と言っても「推し」のアイドルにつけられた渾名で、生身の「俺」はうだつのあがらない「ダメ男」なのだが、そんな「俺」が渾名の効果で、小規模な神様のごときささやかな奇跡を、推しの彼女に演出する。遅れてきた青春小説とも純愛小説とも悲恋小説ともフェティシズム小説とも読めるが、そんな物語を、SNSやアイドル現場といった背景を前提とした作為の上で成立させたところに現代性を感じる。

 古川真人は、三度候補になった芥川賞で選考委員たちから毎度「退屈だ」と言われてきた。それでも長崎が舞台の老婦を中心に据えたサーガを書き続ける古川は意固地に映っていたが、この「背高泡立草」(すばる)では方針に変更が加えられたようだ。第一五七回芥川賞の島田雅彦の選評「血縁関係の中にとどまらず、もっと空間的、時間的に大きな視野に立って、壮大な物語を紡いでもいいのではないか」に従ったようにも映る転換だが、功を奏したように見える。

新潮社 週刊新潮
2019年11月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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