月下の犯罪…サーシャ・バッチャーニ著 講談社選書メチエ

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月下の犯罪 一九四五年三月、レヒニッツで起きたユダヤ人虐殺、そして或るハンガリー貴族の秘史

『月下の犯罪 一九四五年三月、レヒニッツで起きたユダヤ人虐殺、そして或るハンガリー貴族の秘史』

著者
サーシャ・バッチャーニ [著]/伊東 信宏 [訳]
出版社
講談社
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784065168554
発売日
2019/08/10
価格
2,035円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

月下の犯罪…サーシャ・バッチャーニ著 講談社選書メチエ

[レビュアー] 藤原辰史(農業史研究者)

 著者はハンガリーの貴族の末裔(まつえい)で、現在スイスに暮らす40歳代の新聞記者。つい自分の子どもを殴ったあと、いやそんなことやっていない、と言うような自分をどうにもできない。父親との関係も悪い。精神分析家は父的なものの不在を彼に伝える。内面に湧く暴力の衝動。著者の不安定さが本書の魅力となっている。

 そんな彼があるとき同僚から新聞記事を見せられる。ドイツ人の大伯母マルギットが戦争末期のハンガリーで、ユダヤ人180人の虐殺に関わっていた、という記事だ。この日マルギットは自分の城でナチの高官も含め大宴会を開き踊り狂っていた。そのうちの何人かがこの虐殺に関わっていた。自分の内なる暴力性の震源は、このマルギットなのか。彼は悩む。

 だが、本書はこの事件の謎解きだけで終わらない。その解明が著者に旅をさせる。自分の心の内奥への旅。シベリアの収容所に送られた祖父の足跡を追う父親との旅。現代史を生きた被害者と傍観者の手記を発見する旅。それぞれの旅が微妙な不協和音を残す。この不協和音が、時折挟まれる想像上の対話とともに、ヒトラーとスターリンの時代から現代までの歴史のやり切れなさを、重ね塗りのように表現する。

 城に住んでいた祖母マリタと、当時、祖母と仲良く遊んでいたユダヤ人のアグネスの2人の手記が随所に織り込まれるのも興味深い。アウシュヴィッツに連行されたアグネスの回想も、それを傍観するだけだったマリタの独白も第一級の史料である。アグネスは、死んだ両親の死因を自殺だと聞いていたが、射殺だった。その射殺現場を目撃したマリタは、すぐアグネスを探し、収容先を突き止めたが、結局会えなかった。アグネスの手記にも、この時、誰かが面会を希望していたことが記してある。祖母の手記を発見した著者はアグネスに会いにアルゼンチンに飛ぶ。そこで何が起こったか。ぜひ、自分の目で確かめてほしい。伊東信宏訳。

読売新聞
2019年10月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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