酒井抱一…井田太郎著 岩波新書

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酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情

『酒井抱一 俳諧と絵画の織りなす抒情』

著者
井田 太郎 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
芸術・生活/絵画・彫刻
ISBN
9784004317982
発売日
2019/09/21
価格
1,078円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

酒井抱一…井田太郎著 岩波新書

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

 「屑(くず)買ひの吹(ふか)れて歩行(あゆむ)野分(のわき)哉(かな)」。本書が紹介する酒井抱一(ほういつ)の俳句の一つである。激しい秋風の吹きすさぶなかを、貧窮し蔑(さげす)まれた者がよろよろと歩いてゆく。抱一が暮らした江戸の郊外に広がる、武蔵野の荒涼とした空気も伝わってくるようである。

 徳川政権の老中も輩出した有力な大名家の出身で、華やかな琳派の画風を継承する画家としても活躍した。同時代の文人・俳人との交流も多く、若いころは吉原の遊里にも出入りしている。そんな上流の人が内奥で抱えた影が表れた一句である。このとき抱一は五十歳近くになり、すでに政治の世界での出世の道を絶たれていた。

 しかし著者、井田太郎は、俳諧と絵画の両方にわたる学識を用いながら、さらに深層へ迫ってゆく。社会の周縁に生きる人々の哀歓によりそうのは、抱一が模範とした俳人、宝井其角(たからいきかく)のまなざしでもあった。さらに、統治者として世の人情を理解しようとする儒学の基本姿勢もそこには生きている。

 過去の作品から深く学び、それを転調させる。ちょうど、他人の句に自分の作を連ねてゆく、俳諧の創作過程そのものである。そして、琳派のほかにもさまざまな画風を学びながら、絵画にこの手法を転用したところに、独特の叙情が生まれることになった。たとえば尾形光琳の代表作「風神雷神図屏風」の裏面に、みずからの「夏秋草図屏風」を表装した。そこでは光琳の構図を利用しながら、謡曲の文句や武蔵野の風景など、多くの要素のコラージュのような技法を施している。

 抱一の作品は俳諧も絵画も、このように意味が重層的に重ねられており、読み解くためにはさまざまな古典、先行作品、民俗や地理・歴史についての知識を駆使しないといけない。井田がこの本で繰り広げる謎解きは、そのまま徳川時代の文化の豊かさを明示している。

 ◇いだ・たろう=1973年生まれ。近畿大文芸学部教授(日本文学)。

読売新聞
2019年10月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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