吉村喜彦『バー堂島』発売記念エッセイ
[レビュアー] 吉村喜彦(作家)
秘密や真実が、お酒とともに語られる場所。それがバーである。吉村喜彦さんの新作『バー堂島』の刊行を記念して、大阪を舞台にした本作への思いをつづっていただいた。
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大阪は夕日の似合う街だ。
たそがれどきのビル群は、夕映えに照り輝いて、息をのむほど美しい。
大昔の大阪は、上町台地のすぐ西側まで海が迫っていて、四天王寺は沈む夕日を眺める絶好の場所だったという。
日没の様子を見つめ、その丸いかたちを心にとどめて西方浄土をイメージする=日想観の修行の中心地として、四天王寺はにぎわったそうだ。
いまも春と秋の彼岸の中日、四天王寺では日想観の法要がいとなまれている。
大阪のついその先には、西方浄土があったのである。
朝日と夕日と同じ光量でも、昇りゆく太陽と沈みゆく太陽ではまるで勢いが違う。トーンもニュアンスも違う。
同じように、海が西にあるか東にあるかによっても、ひとの性格はずいぶん変わってくるだろう。
大阪は大正の終わりから昭和のはじめにかけて「大大阪」と呼ばれ、人口でも東京を抜き、日本一になっていた。が、それもつかの間、またナンバー2の位置になってしまう。
関ヶ原の合戦も、大坂の陣も、将棋の坂田三吉も阪神タイガースも、いまや経済までも……めっちゃ悔しいけれど、なぜか西は東に負けてしまうのだ。
「ほんでも、食べ物とお笑いは、ぜったい負けへんで」
という大阪人の声が背後から聞こえる。
そうや。その通りや。
ぼくの母は東京生まれ、父は大阪生まれのミックスで、かつ、東京暮らしがいまや人生の大半を占めてしまったが、出身はどこですかとかれれば、「大阪です」と即答する。それは在東京大阪人としてのプライドであり、負けじだましいだ。
大阪と東京。たった500キロあまりの距離なのに、そこには大きな川が横たわっているように思う。
大阪は湿り気のある街だ。
水の都といわれ、大昔は水底にあったからかもしれないが、妙に雨が似合う。
「雨の御堂筋」「大阪しぐれ」……と雨にからんだ歌は大阪の風情にぴったりくる。
湿度は「情け」であり、個々人の商売で栄えてきた街は、情感のない「公」や「たてまえ」は煙たがられ、「エエカッコしい」や「イキり」は嫌われる。
大阪のバーは、いくらオーセンティックな店であろうとも、マスターは話が上手で、ユーモアやウイットに富んだ会話をしてくれる。大阪のバーの一番の肴は、じつはマスターのトーク(といっても口数が多いわけでない)かもしれない。
会話と会話の微妙な間。そこに滲み出るさり気ないやさしさ。決して客に媚びず、姿勢は凜としつつも、やわらかい空気を醸しだす。そこにあるのは、子どもの頃から「笑われてナンボ」で育ってきた関西人の根っからのサービス精神だ。
ウイスキーやカクテルの蘊蓄は、勉強すれば、誰だって語ることができる。そんなエエカッコシイはカッコ悪い─それが大阪バーテンダーの心意気だと思う。
反骨を核にし、それを笑いで包んだ言葉は、バーテンダーのからだから発される。
それら肉体性をもった柔らかい言葉が、大阪のバーテンダーの真骨頂のように思う。
心がかわいて重たい夜、『バー堂島』を読んで、5グラムでも軽くなっていただければ、と、今回、この作品を書きました。
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。
堀口大學のこの詩句は、まさに大阪のたそがれどきのことだと思う。
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吉村喜彦(よしむら・のぶひこ)
大阪生まれ。京都大学教育学部卒業。サントリー宣伝部勤務を経て作家に。著書に『ビア・ボーイ』『ウイスキー・ボーイ』「バー・リバーサイド」シリーズ等がある。NHK-FMの人気番組「音楽遊覧飛行~食と音楽で巡る地球の旅」の構成・選曲・ナビゲーターを長年つとめた。現在、月刊「地域人」で全国の漁師を取材する「港町ブルース」を、ウェブサイト「PRESIDENT STYLE」でお酒のエッセイを連載中。