「社会学って何ですか?」

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「社会学って何ですか?」

[レビュアー] 吉川徹(大阪大学人間科学部教授)

「社会学って何ですか?」という質問を中高生などから受けることがある。物理学って何ですか? 言語学って何ですか? 情報工学って何ですか? どんな分野であれ、研究者たちはこの問いの扱いには慣れている。「わからない」とは答えないだろう。

 他方、社会学の大学教員という仕事をしていると、学部生や大学院生に、「それは社会学的じゃない」というコメントを発して、かれらを困らせることがある。何をどのように扱えばよいのか思いあぐねている若い学徒に対して、先達たちは、伝家の宝刀のようにこれを言う。問答の末に、社会学的だと認めてもらえなければ、「社会学ワールド」には入場できない。

 学問によっては、〇〇学的かどうかはどうでもよく、真理を究明しさえすればそれでよいというものもあるだろう。だが、社会学は、経済学、政治学、心理学、哲学、統計学などとの重複が大きいがゆえに、社会学に固有のものの見方をすることに思い入れが大きい。

 ところが、「社会学的なやり方」の定義は甚だ怪しい。答えは人によって少しずつ異なっているし、自身でも問い続けていることなので、うまく人に説明できない。私などは、微妙なバランス感覚と、特有のこだわりの産物だから、体得してもらわないことには……という程度に考えて、それ以上は判断を停止してしまっている。そのくせ、「それは社会学的じゃない」とも言うし、「社会学的にいえば……」というフレーズもよく使う。

 これでは、「社会学的じゃない」と言われた側は、どうすればいいかわからない。指導者の好みを押し付ける「パワハラ」なのではないかという疑念さえ抱きかねない。

 この手のコミュニケーションを何度か体験すると、言った側も、言われた側も「どこかに答えはないものか?」と思いあぐねることになる。

 本書『社会学入門・中級編』は、『社会学入門』という書名をもつ2冊の書籍(稲葉2009、筒井・前田2017)の続編として書かれたものだという。それゆえの「中級編」なのだが、「入門」なのに「中級」とは、一見すると矛盾のある書名だ。

 実際に読み進めてみると、「入門」という言葉から想像するのとは異なる、深淵な議論が展開されていく。そのことを「看板に偽りあり」と質すつもりは毛頭ない。これこそが本書の重要な本質なのだ。

 すなわち本書は、「社会学とは何か?」という一般向けの問いに答えようとするものではなく、「社会学的なやり方とはどういうものか?」という、第2に挙げた問いに答えるべくして書かれた本なのだ。そのことに気付いたとき、「だから中級編の入門書なのか」と納得した。

 私はこれまで、大規模社会調査のデータを収集し、因果分析を行ってきた。その傍らで質的研究も好きで、方法にあまりこだわらず、日本社会を社会学的に見てきた。

 この自分の研究上の立場は、偶然に左右されつつ形作られたものなので、それを他者と共有するつもりはない。「この立ち位置は定員一名だ」、と常々言っている。自分の研究が、社会学の中のどの位置で、いかなる機能を果たしているかも、気にはしているが、深く考えたことはない。どの学問領域でも、個別研究の現場にいる研究者は、大なり小なり同じではないかと思う。

 しかし本書は、そんな私のような実践研究者に、「社会学的なやり方」をどう言葉にすればよいかを示してくれる。

 本書のように、いわばメタ水準における社会学のあり方を語るテキストは、大社会学者のものを別とすれば、多くはない。私と同じような迷いを抱えている読者には、是非お勧めしたい良書である。

 ここで、本書をめぐる重要な事実を明らかにしておきたい。著者は、社会学部の教員ではあるのだが、社会学者ではなく、応用倫理学者である。そして「半ば他人事」(222頁)として、門外から入門書を書いている。「傍目八目」というが、良い意味でまさにその通りであり、その絶妙な立ち位置と、後述する膨大な知識量が、本書を可能にしている。

 それゆえに、本書には個別具体的な社会事象についての記述はない。社会学を実践する本ではなく、徹頭徹尾、社会学研究のあり方を論じる本なのだ。

 一読したときの読後感としては、私が帰属する社会学という組織が、「第三者評価」を受けているかのような印象を受けた。「自分たちはこのように実践している」という自己主張や弁明ではなく、「社会学者はこうしているようにみえる」、という客観的な評価が展開され、最後には「提言」まで付されているからだ。

 目次をみると、因果推論、社会調査、社会変動、合理性、コミュニケーション、AI社会、という社会学のトピックについて個別に解説する章が並んでいる。

 しかしそれだけではない。本書には全編に通底するストーリーがある。平明で説得的な文章の積み重ねが、重厚でスリリングな議論を構成していくのだ。

 読者にその魅力が伝わるかどうか疑問だが、本書の論旨を私なりに紹介しておこう。

 社会学では因果関係が重視されてきた。しかしそれは、自然科学における不変法則としての因果関係とは別の、社会学固有の理解の様式を指す言葉として発展してきた。

 社会学では、今を生きる個別具体的な人間の営為の背後にある因果構造が記述される。その際、説明対象となる人びとの行為の意味(合理的主体性、もしくは他者の合理性)を理解するということが理論構築のカギとされる。

 それゆえに、因果推論の仮説命題も、検証のためのエビデンスも、対象と分析者の間の対話・コミュニケーションの往還によって、動的に獲得される。

 このコミュニカティブな情報収集のプロセスを、質的調査と量的調査の積み重ねによって行い、学問的な問いを再帰的に構築していることが、他の学問体系にはない社会学の特性である。

 それゆえ、広い意味での社会調査こそが、社会学を社会学たらしめている中核である。これを基礎とする社会学は、この先で社会データの情報量が莫大に増え、人工知能によって人知を超える構造解明がなされるようになっても、固有の研究意義を失うことはない。
 繰り返し読んでみると、このストーリー進行と並行して、2つのことがなされていることに気付く。

 1つは、社会学の中で、理解が難しいとされる重要キー概念が、随所に鏤められていることだ。それは例えば、因果推論、再帰性、構築主義、機能主義、システム論、コミュニケーション社会学、ミクロ・マクロリンク、社会変動、新しい社会問題、統計的機械学習などだ。そしてそれぞれに、著者独自の定義と解説が示されている。確かに中級編の教科書でもあるのだ。

 もう1つは、物理学、統計学、心理学、経済学、解釈学、政治学、歴史学、言語哲学、人類学と、著者の議論が及ぶ範囲が極めて広いことだ。これにより、隣接諸科学と比べてみたとき、社会学に固有の特性は何なのか、という相対的な状況を把握できる。著者は歴史学から最新の統計科学まで、何についても見識がある。自分の実践研究のために必要であったというわけでもなさそうだし、この本を書くために調べたわけでもなさそうだ。それなのに、あらゆることが頭の中に整理されて入っている。その博覧強記は、伝説の社会学者小室直樹を彷彿とさせる。

 私のような実践的な社会学者にとっては、これだけ広い視野で、歴史的経緯や新しい学問の動向まで知ることができるのは有難い。ここで初めの問いに戻ろう。「社会学的なやり方」とはどういうものなのか、だ。

 私が読み取った第一の知見は、社会学は同時代の因果構造を扱う、ということだ。たまたま私は、因果関係をキーワードとする研究をしてきたので、個人としてはほっとした。

 第2の知見は、社会調査の重要性が強調されていることだ。著者は次のように述べている「現代社会学の中核は、原理論、一般理論よりも体面的・コミュニカティヴな質的社会調査である〔…中略…〕。社会学に関心があり、関わろうとするみんなが、そこに相応のリスペクトをしておかなければならない」(206頁)

 加えて他の場所では、量的社会調査データに対する統計的因果推論は、社会学の有力なツールであるとして、多くの紙幅を割いて論じられている。

 つまり著者は、質的社会調査で獲得した論点を、量的社会調査で検証するというかたちで成立している分業関係が、「社会学的なやり方」の中核にあるというのだ。虫の良い読み取り方かもしれないが、これも私がやってきたことについて、「それでいいのです」と力づけてくれるものだ。

 本文中にあるとおり、普遍法則の自然科学的な基準による検証や、一般理論の定立を目指す経済学、心理学、統計学、データ科学の方向性は揺らぎないものにみえる。しかし社会学は、演繹的な法則定立と、その対極にある歴史学や人類学のような現実の分厚い記述の間の、いわばどっちつかずの位置にいる。

 著者は、それを逆手にとったかのように、普遍的な学問理念を確定させるのではなく、柔軟な思考をもって、広い意味でのリサーチ実践を行うことこそが社会学らしさだ、と理路整然と主張していく。

 ただし、国際的な学会動向をみる限り、著者がいうような社会学固有の方向性の追求が主眼だという意見は少数派だ。私自身は同意してはいないが、多くの社会学者は、経済学などの他の社会科学と共通の理念、すなわち科学一般が目指す方向に従おうとしている。

 現在、数値エビデンスに基づく社会学は、研究のあり方を模索するかつてない過渡期にある。まず、他の学問から波及してきた、複合構造のデータの精緻な技法による解析や、ベイズ統計による仮説の描き直しにより、因果推論の水準を高める有力なトレンドがある。他方では、統計的機械学習によって因果理論を超越する、ビッグデータの計算社会科学への期待も大きい。

 若い研究者が到達している最先端では、他の研究領域とのクロスオーバーにより、「それは社会学者がやらなくても、他にもっと専門的な学問がある」ということに思い至ることも多いだろう。それでもなお社会学的であるためには、どんなデータを、どのようなやり方で分析していけばよいのだろうか。

 そこであらためて「社会学的とは?」という問いに直面する人たちに、これからは本書の一読を薦めようと思う。

●文献
稲葉振一郎2009『社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか』NHK出版
筒井淳也・前田泰樹2017『社会学入門――社会とのかかわり方』有斐閣

有斐閣 書斎の窓
2019年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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