『アンチ整理術』
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作家、工学博士・森博嗣の自分自身や人間関係を散らかさない「アンチ整理術」
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
仕事の効率のため、他者との競争に勝つための整理術は、僕は知らない。そういう「競争」に意味があると考えたことが一度もないし、意味のないことに時間を使うほど馬鹿げたことはない、という程度のコメントしかない。
(中略) したがって、僕にはその方面の「整理術」というものはない。はっきりいってしまうと、必要がなかったのだ。整理する時間があったら、研究や創作や工作を少しでも前進させたい、と思っていた。
無駄なことに時間を使うなんて馬鹿げている。 すなわち、これが、僕の「整理術」である。(「まえがき」より)
『アンチ整理術』(森 博嗣 著、日本実業出版社)の著者は、巷によくある「整理術」についての思いをこのように記しています。
ちなみに本書を書こうと思ったのは、次のような思いがあったからのようです。
いつか死ぬことはわかっているのだけれど、明日や明後日は、なんとか死なずに迎えることができそうだ。だったら、明日のために、今日は準備をしよう。(「まえがき」より)
工学博士でありながら、1996年に『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。
同作はまんが化、ドラマ化、アニメ化され、多くのクリエーターに影響を与えることになりました。かくして、以後は作家としても活躍中。
そんな著者は、「整理・整頓はなぜ必要とされているのか」についてどう考えているのでしょうか?
散らかるのは自然の法則
整理・整頓は、誰でも「しないといけない」ものだといわれます。では、その理由は?
著者によれば答えは簡単で、つまりは現在が散らかっている状況だから。そして散らかるのは、その人間の性格が悪いわけではないそうです。
たとえば犬も赤ん坊も、放っておくとなんでも散らかしてしまいます。しかも、自分で片づけることはせず、散らかす一方。
当然のことながら「どうして散らかしてしまうのか」と尋ねてみても答えが返ってくるはずはありませんが、とはいえ想像はつくはず。
つまり、ものを散らかすことが楽しいからやっているわけです。
赤ん坊や動物のみならず、それは自然界でも同じこと。どこにも「放っておけば、どんどん散らかる」という傾向があるわけで、これは物理学において「エントロピィが増大する」という大原則。
振り返ってみると、片づいている様とは、ものがランダムではない状態であり、同じ種類のものが同じところに集まっていたり、密集しているところと、なにもない空間が綺麗に分かれていたりして、つまり「不均質」な状態なのだ。(21ページより)
この不均質な状態とは、人間がつくり出したもので、すなわち「人工」。
同じように都市は「人工」であり、田舎へ行って山奥へ入ったり、海の底に潜ったりすると、それとは反対の「自然」が展開されているということです。(20ページより)
生命とは不均質なもの
そして人は往々にして、人工のものよりも自然を「美しい」と感じるものでもあるでしょう。ところがそのわりに、整理・整頓をするのです。なぜなら、散らかっている状態は美しくないから。
人工的で不均質な状況になるように、整理・整頓をして掃除をし、“これぞまさに「人工」”という状況をつくり出そうとするということ。
だとすれば、そういうものを「きれい」になったなどと表現するのは、不可思議なことではないかと著者は指摘しています。
ところで「きれい」ということばは、人間の容姿の形容にも使われます。でも、「きれいな人」とはどういう意味なのでしょうか?
身だしなみがきちんと整理・整頓され、化粧も正確にできている、あるいは整形手術が成功して、人工的につくられた状態でしょうか?
いずれにしても、そのことをもう少し思い巡らせてみると、多少ヒント的なことがわかってくるというのです。
動物というもの、あるいは生命というものが、不均質な状態なのである。つまり、生命というのは、宇宙の平均的な状況からすると、極めて奇跡的なバランスを保っている特殊な状態であり、ある意味で、綺麗に整理・整頓されたものといえなくもない。
神様が、そういう造作をされた、ということだろうか(本気にしないように)。 生命は、しかしいずれは活動を停止する。死ぬことになる。死なない生命はない。夜空に輝く星々も、いずれは光らなくなる。太陽も燃え尽き、そのまえに地球も終焉となる。そもそも星というものが、不均質な存在だからだ。(22ページより)
ということは、人間が整理・整頓に憧れるのは、それが生命を感じさせるものだからではないか。著者はそう推測するのです。
たとえば人間の健康は、整理整頓ができている状態。散らかっていると元気がなくなり、祭儀には命尽きるわけです。
そして死んでしまえば、あとは散らかり放題。埃も積もり、ぼろぼろになって朽ちていくことに。そして最後は、土に還って均質な状態になるということ。
だから、なんとか元気を出そうというときに部屋を片づけ、ものを整理してみる。その結果、なんとなく生きていく「勢い」のようなものが蘇ってくる。
そういう気分にさせるものが整理・整頓なのだと著者はいうわけです。(21ページより)
整理・整頓には、精神的な効果しかない
整理・整頓が精神的なものだといわれれば戸惑いもしますが、それでも著者はそう断言するのです。
たとえば人間が絶滅し、ロボットやコンピュータだけの世界になったら、整理・整頓などほとんど意味がないのだと。片づいていようが散らかっていようが、機械なら、なにがどこにあるかを把握しているはず。
もしかしたら、もっとも作業効率のよい配置というものが、人間が整理・整頓した状況とは異なっている可能性もあるかも。
結局のところ、整理・整頓とは、元気を出すため、やる気になるためにするものである。
それなのに、仕事ができるようになる、発想が生まれる、効率を高める、などと余計な効果を期待するから、勘違いが生まれる。(24ページより)
そう考えると、整理・整頓しなくてはならない義務感は薄まり、多少なりとも気が楽になるかもしれません。
しかし同時に、決定的な答えが出にくい問題だとも思えます。(23ページより)
軽妙な文章の裏側にあるのは、ストレートでシニカルなスタンス。
しかし、ひとつひとつのことがらが的を射ているからこそ、読者は「この人、ひねくれているなぁ」と感じながらもときに共感し、「ホントにそうだよなぁ」と笑顔を浮かべることになるのではないでしょうか。
「整理術」を学ぶためというよりも、純粋に楽しみがいのある一冊だといえます。
Photo: 印南敦史
Source: 日本実業出版社