『1122(6)』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
[特別対談]渡辺ペコ×ふみふみこ 本当は苦しみと違うものを探していた
[文] 新潮社
「新しい家族を作らねば」という気持ちに駆られた時期も(渡辺)
渡辺 「母娘問題」考え続けて到着するのは、結局ここ? みたいなところありますよね(笑)。私の親たちは、愛子の家とはまた違った形ですがやはり機能不全家族だったので、それぞれに怒りを向けた時期はありました。父に対して「この感情は死ぬまで持ってて許さない」と思ったこともありますが、自分自身の家庭を持ったりお互いに加齢していく中で、そういう気持ちが割合と薄れて行った気がします。だからと言って好きになるということでもないんですけど、ただただ薄れるんだ、というのはありましたね。
そうして戻ってくるのは、やっぱり母親なのだなと。もう母は亡くなりましたが、自分なりの解決やあきらめを積み重ねてもいまだに夢にみますし、「まだずっといる」という感じです。
ふみ これ、伺ってよいのかわからないのですが……お子さんが生まれて、ご家族への思いが変わったりしたことはありますか?
渡辺 子どもが生まれた後に大きく変わったというよりは、それ以前から「別の共同体を作って、元の家族とのつながりや意味を薄くしたい」という気持ちがあったんですよ。夫とはパートナーとして籍も入れていましたが、もう少し堅固なものが欲しいというか(笑)。だから「制度としての結婚」はどうでもよかったんですけど、「子どももいなきゃ」みたいな気持ちがすごく湧いてきた時期があったんです、35歳くらいの頃に。
こういう一般論はすごく嫌で、もっとリベラルでいたい、いなきゃと思うんですけど、自分としてはそういう欲求が強かったですね。実際には不妊治療が必要でしたし、親の介護も重なってストレスが強くて、「新しい家族を作らねばならない」という気持ちに押しつぶされそうになってしまってキツい時期でした。
ふみ わかります。3巻では愛子が結婚と離婚を経験しますけど、愛子も「新しい家族を作らねばならない」という焦りに急き立てられたんだと思います。結婚・離婚や東日本大震災のことも初めは描くつもりなかったんですけど、物語が進むにつれてやっぱり避けては通れなくなって、自分の中から「もう、性交をする『女』にも、それにより子どもを産む『母』にもならなくて良い」という離婚後の愛子の言葉が出てきた時には、ああ、自分はこんなことを感じていたのだなと驚きました。
渡辺 あそこ、本当にすごかったです。私の場合は幸いにも子どもができて、母が亡くなって落ち着くところに落ち着いて、それですごく楽になったんですけど、子どもができなくても時間をかけて納得していっただろうとも思います。家族の問題って決してきれいな形では終わらないですよね。それでもみんなが確実に歳をとっていき、距離感が変わることが大きくて。
ふみ 時間が一番の薬っていうのはありますかね。
渡辺 渦中にいる時は「絶対にそんなことない」って確信していたけれど(笑)。ただ、ネガティブな感情を無理にやりすごせばいいかというと、そうでもない気がします。無理をしても必ずいろんな形で出ますから。自分に何が起きたのか、自分が何を感じていたのか、そういうことに対峙する瞬間は必要だと思う。愛子がパートナーとの関係性や自分の本当の気持ちを捉えて行こうとするところとか、私にはものすごく心を掴まれるものがありました。
ふみ 実は3巻を描きあぐねていた時に、あるきっかけがあって母親と正面から向き合って話したんです。それで、父親はあんなですけどそれなりの経済的な力がありましたし、小さな子どもがいて自分自身には経済力もないという状況の中で、母が“よい結婚、よい家族、よい母親”という幻に縛られて苦しんだのは、自分と同じなんだろうなあと感じるところがあって。
でも、だからと言ってこれまでされてきたことや、私の怒りや憎しみを“なかったこと”にはできないし。渡辺さんが仰るとおり母親を「許す」というのとはちょっと違って、「理解しながら距離をとる」みたいなところに、ようやく辿り着いた感じです。もう『愛と呪い』で今のいろいろを出し切りました。出がらしです(笑)。