ナチス・ドイツ敗北前夜、現場担当小役人の戦い

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黄金列車 = ARANY VONAT

『黄金列車 = ARANY VONAT』

著者
佐藤, 亜紀, 1962-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041086315
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

国家の狂気にのみこまれた人々の感じる「奇妙な軽さ」

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

『黄金列車』の舞台は第二次世界大戦末期のヨーロッパだ。それなのに、主人公バログの〈全てが、驚くほど軽い。何が軽いのか自分でもわからないが、軽い〉という述懐は、今の日本を表現する言葉としてもしっくりくる。なぜだろう。

 一九四四年十二月十六日、ハンガリー王国大蔵省の官吏であるバログは、国有財産を退避させるため、秘密裏に運行される列車に乗る。貨車に積み込まれたのは、政府がユダヤ人から没収した財産。ハンガリーの政治に強い影響をおよぼしていたナチス・ドイツの敗北が決定的になりつつあった当時、敵味方関係なく狙われている厄介な荷物だった。命令を与えた国家自体がどうなるかわからない混沌とした状況で、バログは職務を淡々と遂行していく。

 作者が巻末の覚書に記している通り、ユダヤ人の没収財産を載せた〈黄金列車〉は実在した。しかし、戦中秘話を知らしめることが主題ではない。本書が描いているのは、道義的な責任を問われるような仕事でも拒否できなかった現場担当小役人の戦いだ。バログたちが規則と書類を武器に、積荷を奪おうとする悪党と渡り合うくだりは痛快だけれども、彼らが所属する〈ユダヤ資産管理委員会〉にも善はない。国家による犯罪の片棒を担いでいるのだから。虚しい旅を続けながら、バログは亡き妻と友人のことを思い出す。

 妻と友人、その恋人と四人で過ごした輝かしい夏の記憶。友人は裕福な家のお坊ちゃんだが、母親がユダヤ系だった。バログは〈自分の人生が、そもそもどうしようもなく重いものであることに慣れきっていた〉。友人と妻をあまりにも酷い形で失うまでは……。バログがいつしか感じるようになった軽さは、友人が死の直前にもらした〈奇妙な軽さ〉という言葉とつながっている。どうしたら個人は国家の狂気にのみこまれず、人間としての重さを保っていられるのか。読後もずっと考えている。

新潮社 週刊新潮
2019年11月28日初霜月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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