『望郷の道 上』
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台湾を舞台にした異色の起業小説
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
【前回の文庫双六】詩の底に横たわる孤独と痛み
https://www.bookbang.jp/review/article/595099
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まど・みちおは台湾の学校を出て、台湾総督府で働いていたことがある。そこで台湾を舞台にした小説を紹介したいと考える。真先に浮かんできたのが、北方謙三『望郷の道』だ。
日本統治下にあった台湾に本社を置く新高製菓という会社があった。戦後生まれの私は知らないが、新高ドロップが有名であったらしい。戦前は、森永製菓、明治製菓と並んで三大菓子メーカーと言われたようだが、その新高製菓の創業者である森平太郎夫妻をモデルにしたのが、『望郷の道』である。この森平太郎夫妻は、著者の曽祖父母にあたる。
この長編を読んだときの驚きを思い出す。前半は任侠小説なのである。いや、正確に言うならば、主人公の正太が佐賀県内に三つの賭場を持つ藤家の若き女将と知り合い、婿養子として藤家に入って稼業を拡大していく話だから、限りなく任侠小説に近い、と言い換えよう。彼が若い衆を振り返って「子ば殺された親の、つけんばならん決着ばつけに行く。それを、おまえら止めらるっとか?」と静かに言うシーンがあるが、そのときの迫力がすごい。
驚いたのは、北方謙三にとって任侠小説という衣装は実に似合っているな、と、このとき初めて気がついたからである。
やがて正太は台湾に渡り、キャラメル工場を経営してその事業に邁進していくから、これは同時に、明治中期の台湾を舞台にした異色の起業小説でもあるのだが(こちらのディテールも、波瀾万丈で超面白い)、任侠小説に限りなく接近した前半が、忘れがたい。
藤原審爾に『昭和水滸伝』という任侠小説の名作があるが、このジャンルの作品を近年では滅多に読むことがないので、北方謙三が書いてくれないものかと期待したことも思い出す。
任侠小説なんて時代遅れだ、と思っている人はぜひとも本書を読まれたい。これであなたの血が沸き立たないのなら、私も任侠小説の復権は諦めよう。