いなせな映画監督の粋で温かな人情の世界
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
【前回の文庫双六】台湾を舞台にした異色の起業小説――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/596008
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北上さんお薦めの任侠小説にまったく暗い人間としては、任侠の二文字を見ると高倉健の顔が浮かんでくる。つまりもっぱら映画をとおして任侠を学んで(?)きたことになる。
ただし、任侠映画=東映ヤクザ映画となるわけだが、凄みが利きすぎておっかない印象もあり、本当に親しんできたわけではない。
結局のところ、ぼくにとって“愛すべき任侠”の世界とは、マキノ雅弘監督の作品に集約される。そしてその世界への絶好の案内役を果たしてくれるのが、山田宏一『マキノ雅弘の世界』なのである。
マキノ監督は日本映画の開祖・牧野省三を父として生まれ、子役を経て監督に。「七十年におよぶ巨大な『生きた映画史』」であり、観客を喜ばすことに身を捧げ尽くした「話術の天才」だった。
その作品の面白さをこよなく愛する山田の語り口自体、マキノが乗り移ったような名調子。『次郎長三国志』シリーズのお気に入りの場面を「記憶のままに再現」するくだりでは、画面が鮮やかに浮かび上がってくる。
ヤクザ映画につきものの仁義を切る儀式や、もろ肌ぬいで刺青を見せびらかしての殴り込みなど、「もう、わしらの演出じゃないですね」と監督は述懐する。あくまで粋で、からっとしていて、しかも温かな人情がかよっているのがマキノの世界なのだ。
山田いわく、次郎長に惚れこんで「みんな、それぞれ勝手に、子分になっちゃう」。また「母親的」で「男まさり」な女たちも魅力的だ。その源泉を、山田は監督から聞き出している。「小さい時分から、眼をふさぐと、美しい女の子が出てくる」。そこにはまさに『瞼の母』のような秘密があった。
マキノの代名詞である早撮りや、「口立演出」、台本など見ない演技指導の凄腕も紹介されている。山田が「おしかけ子分」を志願したのもうなずける、なんともいなせな監督だったのだ。