文藝新人賞作「改良」女装の世俗的イメージを寄せ付けない造形と語り口

レビュー

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『文藝』新人賞を受賞した世俗を寄せ付けない造形と語り口

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


文藝 2019年冬季号

 今回の対象は文芸誌11月号(『文藝』は冬季号)、『新潮』『すばる』『文藝』で新人賞の発表があった。受賞作は、中西智佐乃「尾を喰う蛇」(新潮)、高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」(すばる)、宇佐見りん「かか」、遠野遥「改良」(ともに文藝)

「改良」に興味を引かれた。女装に取り憑かれている男子大学生である「私」が語り手だが、「私」はLGBTではない。異性愛者で、懇意にしているデリヘル嬢もいる。では趣味の女装かというと、それも違う。

「私」の女装は、小学生のときに仲の良かった同じ年の男子から受けた性的暴行による精神的外傷の現れのようなのだ。

 一方で、「私」は美しさへの強迫観念に囚われてもいて、女装は変身願望の発現でもある。その妄執は、異性に対しては容姿で切り捨てる差別となって現れる。「美しくないものを見ていても仕方がない」という具合に。

 女装した「私」は、ナンパされ、きれいになったのだと喜んだのも束の間レイプされてしまう。小学生時の被害が最悪のかたちで再現したかのような屈辱のなかで、「私」は自分が何を求めていたのかを発見する。

 一篇の小説としては予定調和的で食い足りなさが残るものの、幾重にも捻れ、女装が呼び起こす世俗的イメージを寄せ付けない「私」の造形と語り口に独自の感覚を認めた。

 木村友祐「幼な子の聖戦」(すばる)も、語り手の造形が際立っている。被害者にして加害者、小狡いが間抜け、卑小で尊大、小市民的なくせにヒロイックなどなど相反する側面を何層も畳み込んだ複雑な人格を「おれ」という一人称で包んだのは小説としては珍しいが、パーソナリティとして見ればごくありふれた市民だ。東北の村の村長選を舞台に、権力に弱みを握られ、仲間を裏切り敵陣に寝返る人物を描くのにまったくふさわしい造形と言うべきである。ただ、現政権への批判を勧善懲悪のかたちで織り込んだのは切れ味を鈍らせていると思った。

 その他、清水裕貴「溶ける指」(文藝)の叙情性に新鮮なものを感じた。

新潮社 週刊新潮
2019年12月5日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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